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王維【おうい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

王維
おうい
Wang Wei
[生]?
[没]上元2(761)頃
中国,唐の詩人画家。字,摩詰 (まきつ) 。太原 (山西省) の人。宮廷に仕え,容姿すぐれた才人として高名で,官は尚書右丞となり,王右丞と呼ばれた。都に近い藍田のもう川 (もうせん) に別荘を営み,余暇には宮廷生活から逃れて自然を楽しみ,また画をつくり,自適の生活をおくった。若いときから文名があり,長じて開元,天宝の間には宮廷詩人の第一人者として活躍した。その詩は「詩中に画あり」と評されるように,多くは山水の美,静的な美をテーマにうたわれている。ことに五言絶句にすぐれ,『王右丞集』6巻がある。また水墨を主体とした山水画を得意とし,画風は従来の筆線を重んじる伝統的なものとは大いに相違するものであった。この独創的画風のゆえに後世の南宗画のとされた。作品『もう川図』は王維の在世中から著名で盛んに伝写され,原本は失われているが,現在,宋の郭忠恕 (かくちゅうじょ) の模本系統の図をワシントン D.C.のフリーア美術館,大阪市立美術館などが所蔵する。また人物画として大阪市立美術館蔵『伏生授経図』が真跡と伝えるが確証はない。彼は書にもすぐれた手腕を示し,琴もよくするなど,きわめて多方面に才能を発揮した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

おう‐い〔ワウヰ〕【王維】
[701ころ~761]中国、唐の詩人・画家。太原(山西省)の人。字(あざな)は摩詰(まきつ)。安禄山後、粛宗に起用され、尚書右丞(しょうしょゆうじょう)になった。仏教を信仰し、長安郊外の輞川(もうせん)に別荘を設けて、友人たちと詩画の創作や音楽を楽しんだ。自然詩・山水画に長じ、南宗画の祖と仰がれる。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

おうい【王維 Wáng Wéi】
699?‐761
中国,盛唐の詩人。字は摩詰。太原(山西省)の人。9歳で詩を作るなど,年少のころから多芸をもって知られ,上流階級のサロンの花形であった。開元7年(719),進士に及第し,給事中まで進んだ。安禄山の乱に際し,心ならずも偽政府に仕え,乱平定後,重罪に問われようとしたが,(縉(しん))の助命運動などにより,死刑を免れた。のち昇進して尚書右丞に至ったので王右丞とも呼ばれる。生前の詩名は,李白,杜甫をはるかにしのぐ。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

王維
おうい
(699?―761)

中国、唐代の詩人、画家。字(あざな)は摩詰(まきつ)。李白(りはく)、杜甫(とほ)に次ぐ盛唐期の大詩人で、仏教信者であったために、詩仏と称される。自然詩の第一人者とされ、客観的で静寂な叙景に優れるほか、送別詩、宮廷詩などの分野においても一流である。

 蒲州(ほしゅう)(山西省)に生まれ、家は土地の小豪族だったらしい。母は熱心な仏教信者で、王維に強い影響を与えた。15歳ごろに首都長安に上り、皇族貴顕の邸宅に出入、美貌(びぼう)と詩、音楽、美術の多方面の才能で、玄宗初期、最盛期唐代の社交界の人気者となった。しかし、進士及第後まもなく、済州(せいしゅう)(山東省)に左遷されてから、40代の初めまで不遇がちで、一時は涼州(甘粛(かんしゅく)省)にいたこともある。このころ妻を失い、生涯再婚しなかった。天宝年間(742~755)には、長安の官界に返り咲き、順調に昇進し、長安の南の郊外の輞川(もうせん)に広大な別荘を構え、宮廷詩人として盛名をかちえる一方、輞川では休暇の日に親しい友人と、芸術と信仰に明け暮れる毎日を過ごした。その生活のなかから生まれた『輞川集』は、五言絶句20首、親友裴迪(はいてき)の同詠をあわせて40首の連作で、輞川荘を浄土に見立てた叙景詩の傑作である。安禄山(あんろくざん)の乱にあたり、捕虜となり、のちに解放され、唐に対する忠誠を認められて、軽い処分ですんだが、決然たる行動をとりえなかったことを自己批判し、仏教による世界の救済を夢み、詩への関心は後退した。尚書右丞(うじょう)の官にあったときに死んだので、王右丞ともよばれる。『王右丞文集』10巻を伝える。彼のファンだった代宗皇帝が「天下の文宗」とよんだように唐一代、最高の詩人とされた。「独り幽篁(ゆうこう)の裏(うち)に坐(ざ)し、琴を弾じ復(ま)た長嘯(ちょうしょう)す。深林人知らず。明月来たりて相照らす」(竹里館)
[入谷仙介]

 王維は画にも秀(すぐ)れ、自らも前世はまさに画師なるべしと詩に書いている。その画業として長安の慈恩寺など寺院の障壁に白描(はくびょう)や金碧青緑(きんぺきせいりょく)の山水画を描いたことが知られ、山水画に名があり、当時すでに一部の人々から絶賛されていた。画風は一様ではなかったと考えられるが、王維の高潔な人格や自然を楽しむ田園詩人としての態度などから、明(みん)代の董其昌(とうきしょう)はその『画禅室随筆』中の南北画論で王維を北宗画(ほくしゅうが)の李思訓(りしくん)と対置して南宗画(文人画)派の祖とし、水墨山水画の創始者とし、画人王維の名を高からしめた。また宋(そう)の蘇東坡(そとうば)が詩と画に卓越した王維を「摩詰(まきつ)の詩を味わう、詩中に画有り、摩詰の画を観(み)る、画中に詩有り」と評したこともよく知られている。しかし王維がどのような様式の山水を描いたのかは、王維画を模したとする『輞川図巻』が少なからず知られてはいるが、確実な遺品が現存していないため、よくわかっていない。

[星山晋也]

『都留春雄注『中国詩人選集6 王維』(1958・岩波書店)』『小林太市郎・原田憲雄著『漢詩大系10 王維』(1964・集英社)』『小川環樹他訳『王維詩集』(岩波文庫)』

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精選版 日本国語大辞典

おう‐い ワウヰ【王維】
中国、唐代の詩人、画家。字(あざな)は摩詰(まきつ)。山西太原の人。官は尚書右丞(うじょう)に進む。中国自然詩の完成者といわれ、また、水墨を主とした山水画、人物画をよくして、南宗画(文人画)の祖とされる。(七〇一頃‐七六一

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