●産経新聞【さんけいしんぶん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
産経新聞
さんけいしんぶん
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デジタル大辞泉
さんけい‐しんぶん【産経新聞】
[補説]産経新聞の部数の推移
2010年…162万部
2011年…161万部
2012年…161万部
2013年…162万部
2014年…162万部
2015年…160万部
2016年…158万部
2017年…153万部
2018年…145万部
(各年の下期平均部数)
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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デジタル大辞泉プラス
産経新聞
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世界大百科事典 第2版
さんけいしんぶん【産経新聞】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
産経新聞
さんけいしんぶん
産業経済新聞社(本社東京・大阪)から発行されている全国紙。「モノをいうシンブン」を標榜(ひょうぼう)して、日本でもっとも保守的な全国紙として知られる。前身は1933年(昭和8)6月、前田久吉(ひさきち)(1893―1979)が大阪で創刊した『日本工業新聞』。第二次世界大戦中の新聞統合により、1941年6月、愛知県以西の産業経済関係の新聞社33社を吸収合併、1942年11月、題号を『産業経済新聞』と変更した。戦後の1950年(昭和25)3月、東京でも印刷・発行を開始。紙面を経済紙から一般紙に切り替えた。1955年11月、福沢諭吉創刊の由緒ある『時事新報』と合同、東京発行紙を『産経時事』としたが、1958年7月には、東西発行紙の題号を『産経新聞』に統一、名実ともに全国紙となった。同年10月、創立者前田が退任、財界から水野成夫(しげお)が社長に就任し、科学的管理方針を掲げ、労使間に平和協定を結び、編集・事務部門の機械化・合理化を進めるとともに、1962年いち早くコンピュータを導入するなど、新聞界の注目を集めた。1963年以来ラジオ、テレビと提携、立体報道の強化を進め、1967年12月には、フジテレビ、文化放送、ニッポン放送とともに「フジサンケイグループ」を結成した。
1968年10月、鹿内信隆(しかないのぶたか)(1911―1990)が社長に就任、経営の刷新、技術の革新を進めるとともに、1969年2月、サラリーマン向けの新聞『夕刊フジ』を東京で創刊した。同年5月には本紙の題号を『サンケイ』と改題。論壇「正論」の創設、意見広告の開放を断行するなど紙面の充実を図った。また1970年6月、創刊1万号を迎えたのを機に「民主主義と自由のためにたたかう」など4項目の「サンケイ信条」を制定。1976年以降、紙面の正論路線、生活情報路線を決め、「総合編集」体制の強化を図っている。1988年から『産経新聞』の題号を使用している。2004年に大阪新聞社を吸収合併。発行部数は、朝刊が東京・大阪両本社をあわせて約163万3200部、夕刊が大阪本社のみで約53万7000部(2010)。
[高須正郎・伊藤高史]
『前田久吉著『日日これ勝負』(1953・創元社)』▽『楠田実編著『産経新聞政治部秘史』(2001・講談社)』
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さんけい‐しんぶん【産経新聞】
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