●田代忠国【たしろ ただくに】
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
田代忠国 たしろ-ただくに
宝暦7年10月29日生まれ。出羽(でわ)久保田藩(秋田県)藩士。佐竹義敦(よしあつ)につかえる。安永2年平賀源内が藩にまねかれた際,洋風画の手ほどきをうけたとされる。作品に「岩に牡丹図」「桜花図」など。文政13年10月9日死去。74歳。名は国綱。通称は周助。号は雲夢,金台散人,春秋庵。
出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。
日本大百科全書(ニッポニカ)
田代忠国
たしろただくに
(1757―1830)
江戸中期の洋風画家。秋田藩士で、諱(いみな)を国綱(くにつな)、幼名忠誘、通称周助(しゅうすけ)、号を雲夢(うんむ)、金台散人(きんだいさんじん)、春秋庵(しゅんじゅうあん)といった。1773年(安永2)平賀源内の秋田訪問を契機として、主君の佐竹曙山(さたけしょざん)や同藩の小田野直武(なおたけ)とともに洋風画を描くようになったが、そのときわずか17歳であった。秋田蘭画(らんが)の画家のなかでは長命であったのに、遺作はあまり多く発見されていない。遺作には油絵はないが、作風は油絵の感覚に近く重厚で、東洋の人物画や花鳥画の洋風画化を試みている。
[成瀬不二雄]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
367日誕生日大事典
田代忠国 (たしろただくに)
江戸時代中期;後期の洋画家
1830年没
出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「田代忠国」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●田代忠国の関連情報
関連キーワード
| 奴隷制廃止運動| フランス史(年表)| シャルル| 産業革命| 民衆を導く自由の女神| パーマストン(子)| ギゾー| スタンダール| プラッシーの戦| 白粒岩|