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甲良宗広【こうら むねひろ】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

甲良宗広 こうら-むねひろ
1574-1646 織豊-江戸時代前期の大工。
天正(てんしょう)2年生まれ。寛永9年(1632)江戸幕府の作事方大棟梁(とうりょう)となる。以降,甲良家は大棟梁を世襲。唐様(からよう)(禅宗様)建築を得意とし,日光東照宮改築,寛永寺五重塔などを造営し,のちの神社建築におおきな影響をあたえた。正保(しょうほ)3年3月17日死去。73歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。名ははじめ小左衛

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

こうらむねひろ【甲良宗広】
1574‐1646(天正2‐正保3)
江戸初期に日光東照宮造営などで活躍した大工。近江国犬上郡甲良庄法養寺村に生まれた。幼名は小左衛門。《甲良家由緒書》によると近衛家の門の造営の功により従六位左衛門尉を,吉田神社造営の功により豊後守を許されたというが,この京都時代については他に資料がなく裏付けることができない。1632年(寛永9)から江戸幕府作事方大棟梁を勤める。確認しうる最初の仕事は台徳院霊廟(1632)で,以後,日光東照宮(1636),寛永寺五重塔(1639)など多くの作品を手がけた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

こうらむねひろ【甲良宗広】
1574~1646 江戸幕府作事方大棟梁。近江の人。豊後守。芝の台徳院廟、寛永造替の日光東照宮などの建築で知られる。甲良家は、建仁寺流を伝える工匠の家系。

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(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

甲良宗広
こうらむねひろ
(1574―1646)
江戸初期の工匠。近江(おうみ)国甲良庄(しょう)出身。幼名小左衛門。建仁寺(けんにんじ)流を称し、禅宗様建築を得意とする。伏見(ふしみ)城、近衛(このえ)家門、吉田神社などの造営に参画、豊後守(ぶんごのかみ)の称を許されたので、甲良豊後の呼称でも知られる。1604年(慶長9)江戸に上り、徳川家康・秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)に重用され、幕府作事方大棟梁(だいとうりょう)を勤める。芝増上寺三門、鎌倉鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)、増上寺台徳院霊廟(れいびょう)、日光東照宮、寛永寺(かんえいじ)五重塔などの造営にあたる。隠居後は道賢を号し、故郷で病没した。[天田起雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

こうら‐むねひろ【甲良宗広】
江戸幕府の作事方大棟梁(とうりょう)甲良家の初代。号道賢。豊後守と称する。近江の人。建仁寺流の工匠といわれ、日光東照宮、台徳院仏殿などを建築。彫刻にすぐれた。正保三年(一六四六)没。

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