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畠山義就【はたけやまよしなり】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

畠山義就
はたけやまよしなり
[生]? 山城
[没]延徳2(1490).12.12.
室町時代中期の武将。「よしひろ」とも読む。持国の子。初名,義夏。右衛門佐。家臣が家督の義就を排して政長を立てようとしたため,畠山氏は2流に分裂,細川,山名の両氏に助けられた政長側が優勢で,義就は京都を追われて河内,紀伊の各地に転戦。やがて山名持豊 (宗全) を頼って文正1 (1466) 年入京,足利義政に謁した。翌年持豊と結んで政長を討とうとし,応仁の乱発端をなした。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

はたけやま‐よしなり【畠山義就】
[?~1490]室町中期の武将畠山持国の子。持国養子政長家督相続をめぐって対立し、応仁の乱の発端をつくった。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

畠山義就 はたけやま-よしなり
1437-1491* 室町時代の武将。
永享9年生まれ。畠山持国の子。父の養子である叔父畠山持富の次男政長と家督をあらそい,畠山家は両派に分裂。将軍足利義政仲裁で一時は和睦するが,のち対立が激化山名持豊とくんで政長・細川勝元方とたたかい,応仁(おうにん)の乱を誘発。乱後も河内(かわち),大和を転戦,延徳2年12月12日陣中で病死。54歳。初名は義夏。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

はたけやまよしなり【畠山義就】
?‐1490(延徳2)
室町中期の武将。持国の子。畠山家の家督をめぐり,従兄弟の弥三郎とその弟政長と激烈な争奪戦を演じた。1454年(享徳3)いったん弥三郎に家督を奪われるが,将軍足利義政の庇護により奪回。その後家督は政長に移るが,67年(応仁1)山名持豊の支援で再度継承する。応仁・文明の乱では西軍に属し,77年(文明9)講和後もひとり帰参せず河内に下向し,河内,紀伊を支配した。【鳥居 和之】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

畠山義就
はたけやまよしなり
(?―1490)

室町後期の武将。室町幕府管領(かんれい)畠山持国(もちくに)の長男。初名義夏。持国には嫡出の実子がなかったので弟持富(もちとみ)を家督後継者にしようとし、またその子政長(まさなが)を養子に迎えた。ところが妾との間に生まれた義就に1450年(宝徳2)家督を譲ったため畠山氏は、持国・義就派と、政長を支持する有力家臣派とに分裂、領国河内(かわち)を中心にして国人(こくじん)領主を巻き込んで戦いを繰り返した。将軍足利義政(あしかがよしまさ)、細川勝元(ほそかわかつもと)、山名持豊(やまなもちとよ)(宗全(そうぜん))が政長を支持したため、政長は64年(寛正5)管領に就任し家督を継いだ。しかし、まもなく義就は勝元と対立した宗全の支持を取り付け、67年(応仁1)政長の解任に成功を収めると、勝元の支持を受ける政長との間に戦端が開かれ、応仁(おうにん)の乱へと発展していった。乱後も畠山両派の争いは続き、義就は河内大和(やまと)、南山城(やましろ)の国人を巻き込んで転戦している。延徳(えんとく)2年1月12日死去。

[川島茂裕]

『佐々木銀弥著『日本の歴史13 室町幕府』(1975・小学館)』『鈴木良一著『応仁の乱』(岩波新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

はたけやま‐よしなり【畠山義就】
室町時代の武将。畠山持国の子。初名義夏。持国の養子政長と家督相続をめぐって対立し、一時吉野に敗走したが、山名宗全の助けにより日野富子を頼って入京。応仁の乱の発端をつくった。法名宝泉寺。延徳二年(一四九〇)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

畠山義就
はたけやまよしなり
?〜1490
室町時代の武将
管領持国の子。持国は甥政長を養子としたが,のちに妾腹の義就に家督を与えようとしたので,一族が二分して争った。義就は山名宗全の援助をうけ,管領政長は細川勝元に頼って相争い,応仁の乱の一因をつくった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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