@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

白隠慧鶴【はくいん えかく】

美術人名辞典

白隠慧鶴
江戸中期の臨済宗駿河生。勅謚は初め神機独妙師、のち正宗国師。15才で松蔭寺単嶺伝に就いて出家慧鶴と称する。のち美濃の瑞雲寺馬翁宗春、伊予の正宗寺逸禅、越後の英岩寺性徹らの門を歴参。享保3年妙心寺第一座となる。東嶺円慈・遂翁元盧らを育て、臨済禅中興を成し遂げ、よく民衆に禅を広めた。明和5年(1768)寂、84才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

はくいん‐えかく〔‐ヱカク〕【白隠慧鶴】
[1686~1769]江戸中期の僧。臨済宗中興の祖。駿河の人。号、鵠林。勅諡号(ちょくしごう)、神機独妙禅師・正宗国師。信濃飯山正受庵道鏡慧端の法を(つ)ぎ、故郷松陰寺に住持した。京都妙心寺の第一座ともなったが、のち、諸国を遊歴し、禅の民衆化・革新遂行。詩文・禅画もよくした。夜船閑話」「遠羅天釜(おらてがま)」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

白隠慧鶴 はくいん-えかく
1686*-1769* 江戸時代中期の僧。
貞享(じょうきょう)2年12月25日生まれ。臨済(りんざい)宗。15歳で郷里駿河(するが)(静岡県)の松蔭寺で得度。信濃(しなの)飯山の道鏡慧端(どうきょう-えたん)(正受(しょうじゅ)老人)の法をつぐ。のち松蔭寺にもどり,享保(きょうほう)3年京都の妙心寺首座。禅の民衆化につくし,書画でも知られた。明和5年12月11日死去。84歳。諡号(しごう)は正宗(しょうじゅう)国師。別号に鵠林(こうりん)。著作に「遠羅天釜(おらてがま)」「夜船閑話」など。
格言など】養生は大名が国を守るようなものである(「夜船閑話」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

367日誕生日大事典

白隠慧鶴 (はくいんえかく)
生年月日:1685年12月25日
江戸時代中期の僧
1769年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

白隠慧鶴
はくいんえかく
1685〜1768
江戸中期の臨済宗の僧。臨済宗中興の祖
駿河(静岡県)の人。15歳のとき出家し,以来修行に励んだ。生涯百姓・町人の中にあり,平易な禅を説き広めた。京都の妙心寺第一座。著書に『槐安国語 (かいあんこくご) 』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

白隠慧鶴
はくいんえかく

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

白隠慧鶴」の用語解説はコトバンクが提供しています。

白隠慧鶴の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation