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皇后(天皇の嫡妻)【こうごう】

日本大百科全書(ニッポニカ)

皇后(天皇の嫡妻)
こうごう

天皇の嫡妻。『古事記』などによれば、上代は大后(おおきさき)と書き、天皇の后妃すなわち后のうちの最上位の者を称したが、中国の制度を採用してから、これに皇后の称をあてた。『令義解(りょうのぎげ)』には、「皇后」の語に「天子之嫡妻」をいうと説明している。令制では皇族から選定するのを原則としたが、藤原不比等(ふひと)の娘光明子(こうみょうし)が聖武(しょうむ)天皇(在位724~749)の皇后となってからは、藤原氏の女子が圧倒的に多い。光明子以降江戸時代末までの皇后52人のうち、皇族は11人、源(みなもと)、平(たいら)、橘(たちばな)各氏および不明が各1人に対し、藤原氏は37人を数える。明治の皇室典範制定(1889)後は、皇族または五摂家(ごせっけ)など特定の華族の女子と定められたが、現制ではその制限もなくなった。なお、上記52人のほか、天皇と配偶関係のない内親王を皇后と尊称した例が、平安末期から鎌倉時代にかけて11例あり、これを尊称皇后と名づけて妻后と区別することも行われている。

 皇后を立てるには、古来「某を皇后と定め賜ふ」(『儀式』)旨の詔(みことのり)を宣示する立后(りっこう)の儀式が行われたが、明治の皇室典範では立后は大婚(たいこん)(天皇の結婚)の場合に限られたため、大婚の儀式が中心となり、大婚当日に立后の詔書が公布されるだけとなった。また皇太子妃は、皇太子の皇位継承と同時に皇后となり、立后の詔を必要としないのも古制と異なる点である。

 令制では、皇后は元日などの朝儀に天皇と同じく皇太子以下群臣の拝賀を受け、崩御ののちは山陵、国忌(こき)を設けるなど、天皇に准ずる待遇を与えられたが、そのことばを令旨(りょうじ)といい、敬称を殿下といい、出行を行啓(ぎょうけい)というなど、皇太子の待遇に近い面もあった。現制では敬称を陛下という。また皇后には中宮職(ちゅうぐうしき)が付属し、大夫以下の職員が奉事すると大宝令(たいほうりょう)に定められたが、藤原光明子が立后した際、皇太夫人(こうたいふじん)藤原宮子(みやこ)(聖武(しょうむ)天皇生母)に付属していた中宮職とは別に、令制にない皇后宮職が設置され、以後平安時代なかばまでこの例が続いた。しかし醍醐(だいご)天皇の皇后藤原穏子(おんし)の立后のとき、皇太夫人の廃絶の後を受けて、中宮職が初めて皇后に付置され、さらに一条(いちじょう)天皇のとき2人の皇后が並立する例が開かれてからは、おおむね新立の皇后に中宮職、先立の皇后に皇后宮職を付属し、前者を中宮、後者を皇后宮(略して皇后)とよんで区別した。なお尊称皇后には、1例を除いてみな皇后宮職が付置されたが、明治以後は中宮職が廃止されて皇后宮職が置かれ、したがって中宮の称も消滅した。1945年(昭和20)皇后宮職は廃され、その庶務は侍従職の所管に移った。

[橋本義彦]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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