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皇室領【こうしつりょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

皇室領
こうしつりょう
皇室の土地財産。文献上の初見は天狭田,長田である。大和朝廷直轄領である屯倉 (みやけ) の数は 60以上に達したが,その他,県 (あがた) ,御子代,御名代があった。大化改新の際公地公民の制によって皇室領と称するものは減少した。律令制下では官田,園池,御厨 (みくりや) などがおかれ,のち勅旨田が設定された。その後律令制の動揺荘園制の発展に伴い,藤原氏の荘園が皇室をしのぐほどになると,後三条天皇荘園整理令を発して皇室領の増加に努めている。院政時代には積極的な整理増殖や寺社領からの寄進などもあって,皇室領荘園は数百に達した。鎌倉時代に入り,武家政権の確立に伴って皇室領は減少し,江戸幕府はわずか3万石余を禁裏御料所にあてたにすぎなかった。

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世界大百科事典 第2版

こうしつりょう【皇室領】
皇室の所領。令制以前からの古い伝統をもつ皇室の屯田(みた)・御厨(みくりや)・御薗みその)などの多くは,令制以後は大炊(おおい)寮や内膳司など諸司の管理下に入り,さらに諸司領に変身して,皇室経済の一端をになったが,一方では平安初期に勅旨田勅旨牧の設定が盛行し,皇族らにも与えられた。そのうちとくに後院(ごいん)(離宮一種)にあてられたものは,殿第とともに〈代々のわたり物〉として天皇に伝領され,1036年(長元9)の渡文は4殿第・4荘牧を載せている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

皇室領
こうしつりょう
皇室、宮廷の私的経済の収入源となる不動産および動産の総体を称し、とくに戦国期以降には禁裏御料(きんりごりょう)と称されることが多い。文献上の初見としては天狭田(あまのさなだ)、長田(ながた)があるが、具体的には県(あがた)、屯倉(みやけ)、御子代(みこしろ)、御名代(みなしろ)が皇室領の原初形態といえ、これらは大化改新(645)による公地公民制のもとに解体したが、全国に散在していた県は大和(やまと)国(奈良県)の6か所の県(六県(ろくあがた))に集約された。さらに大宝(たいほう)の制(701)で官田、園池(そのいけ)、厨(くりや)、氷室(ひむろ)、薬園、牛牧、御封(みふ)の成立をみた。しかし律令(りつりょう)制が弛緩(しかん)し墾田増加して荘園(しょうえん)化が進むと、皇室もまた勅旨をもって諸国の空閑地などを開墾するようになる。勅旨田(ちょくしでん)がこれである。また、嵯峨(さが)天皇のとき初めて後院(ごいん)(天皇の在位中に定められた譲位後の居所)の経費にあてるための後院領の設置をみた。荘園の発達に伴い藤原氏は諸国の諸荘園を兼併し、その勢い皇室をしのぐに至る。ここに後三条(ごさんじょう)天皇は記録荘園券契所を設けて荘園の整理を行い、藤原氏の勢力を抑えるとともに、皇室領の増大を図り、白河(しらかわ)、鳥羽(とば)、後白河(ごしらかわ)の三上皇の院政時代には皇室領は画期的な増加をみた。これらには社寺領、女院領の形態をとるものが多く、神社では後白河法皇の創建にかかる新日吉(いまひえ)社、新熊野社の社領、寺院では法勝(ほっしょう)寺以下の六勝寺の所領や長講堂領、女院領では八条院、七条院、室町院らの所領がそれである。長講堂は後白河法皇の御所六条殿の持仏堂で、その所領は180か所にも及び、中世を通じて皇室経済の根本となり、両統迭立(てつりつ)の原動力とさえなった。皇統が二分されると皇室領も分割され、持明院(じみょういん)統は長講堂領を中枢とし、後深草(ごふかくさ)上皇領、法金剛院領、室町院領半分など約250か所を、大覚寺(だいかくじ)統は七条院領、八条院領、室町院領半分などの約380か所を伝領したが、南北朝の動乱期に入ると皇室領は地方豪族のために押領(おうりょう)され、壊滅的な打撃を受けた。そして時代とともにこの傾向は深刻なものとなり、戦国期を通して残存したものは多くはない。この期に諸司領、供御人(くごにん)、率分所(そつぶんしょ)などが新設され重要性を帯びたのも、これがためであった。織田・豊臣(とよとみ)時代に入って、両氏より御領の進献もあり、ようやく経済的に安定の兆しをみた。江戸期に入ると前後3回にわたり徳川氏より御領が進献され、つごう3万石を領することになる。1601年(慶長6)徳川家康より進献された1万石余の土地を本御料、23年(元和9)秀忠(ひでただ)よりの1万石を新御料、1705年(宝永2)綱吉(つなよし)よりの1万石を増(まし)御料というのである。また上皇・女院などにも別に御料が進献され、これら御料所の事務などは幕府の京都代官が扱った。1867年(慶応3)徳川慶喜(よしのぶ)は改めて山城(やましろ)一国23万石を献じたが、王政復古により皇室領は国費でまかなうことになった。[橋本政宣]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

皇室領
こうしつりょう
明治時代以前の皇室の直轄地
畿内に多く分布し,時代により名称を異にする。大化以前の屯倉 (みやけ) ・屯田 (みた) ,律令制度下の官田,平安時代の勅旨田がこれにあたる。国衙 (こくが) 領や荘園にもあった。織田信長豊臣秀吉は御領を献上。江戸幕府は5代将軍徳川綱吉までに合計約3万石を,慶喜 (よしのぶ) に至って山城国23万石を献上した。明治維新で廃止

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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