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相模【さがみ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

相模
さがみ
平安時代中期の女流歌人。乙侍従 (おとじじゅう) ともいう。父は源頼光 (よりみつ) といわれる。相模守大江公資 (きんすけ) の妻。一条天皇皇女脩子 (しゅうし) 内親王に出仕。長元8 (1035) 年『賀陽院水閣歌合』,天喜4 (56) 年『皇后宮寛子歌合』などに出詠し,『後拾遺集』以下の勅撰集に 110首近く入集。家集に『相模集』『思女 (しじょ) 集』があり,百首歌も詠んでいる。

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デジタル大辞泉

さがみ【相模/相摸】
旧国名の一。今の神奈川県大部分に相当する。相州
相模女」の

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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さがみ【相模】
平安中期の女流歌人。相模守大江公資(おおえのきんより)の妻であったことからその名がある。脩子(しゅうし)内親王に仕え、多くの歌合に参加。家集に「相模集」がある。生没年未詳。

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さがむ【相模】
相模(さがみ)の古称。
「―嶺(ね)の小峰見隠し」〈・三三六二〉

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

相模 さがみ
?-? 平安時代中期の歌人。
長徳4年(998)ごろの生まれ。一説に源頼光(よりみつ)の養女。乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが,相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して相模とよばれる。のち公資と不仲となり,脩子(しゅうし)内親王につかえ,内裏歌合(だいりうたあわせ)などで歌をよんだ。「後拾遺和歌集」などの勅撰集に100首以上おさめられている。中古三十六歌仙のひとり。家集に「相模集」。
格言など】恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ(「小倉百人一首」)

出典:講談社
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大辞林 第三版

さがみ【相模】
◇旧国名の一。神奈川県の大部分に相当する。相州そうしゆう
「相模女」「相模下女」の略。
人名(別項参照)。

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さがみ【相模】
平安中期の女流歌人。初め乙おと侍従と呼ばれたが、相模守大江公資きんよりと結婚、相模と呼ばれる。公資と離別後、脩子内親王に仕え、多くの歌合に出詠。後拾遺集には四〇首入集。生没年未詳。家集「相模集」

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さがむ【相模】
「さがみ(相模)」の古名。 -路のよろぎの浜のまなごなす/万葉集 3372

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日本大百科全書(ニッポニカ)

相模
さがみ
生没年不詳。平安中期の女流歌人で、中古三十六歌仙の一人。源頼光(よりみつ)の娘(養女とも)。母は慶滋保章女(よししげのやすあきらのむすめ)。初め皇太后妍子(けんし)に仕え乙侍従(おとじじゅう)とよばれたが、相模守(さがみのかみ)大江公資(きんより)と結婚して任地に下向、上京後、藤原定頼(さだより)との恋愛を経て公資と離別、一品宮修子(いっぽんのみやしゅうし)内親王に仕えて相模とよばれた。歌人としては寛弘(かんこう)(1004~12)末年からの詠歌が知られ、長元(ちょうげん)8年(1035)「賀陽院水閣歌合(かやのいんすいかくうたあわせ)」、永承(えいしょう)4年(1049)「内裏(だいり)歌合」、同6年「四条宮春秋(しじょうのみやしゅんじゅう)歌合」などに活躍、能因とともに和歌六人党歌人の指導者でもあった。家集に『相模集』『思女(しじょ)集』などがあり、『後拾遺(ごしゅうい)集』以下の勅撰(ちょくせん)集に110首をとどめる。詠風は繊細にして清新、完成度の高いものである。
 恨みわびほさぬ袖(そで)だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ[犬養 廉]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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