●相馬氏【そうまうじ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
相馬氏
そうまうじ
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世界大百科事典 第2版
そうまうじ【相馬氏】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
相馬氏
そうまうじ
桓武平氏(かんむへいし)の流れをくみ、平将門(たいらのまさかど)の後裔(こうえい)と伝えるが、直接の祖は千葉介(ちばのすけ)常胤(つねたね)の二男師常(もろつね)に始まる。師常は下総国(しもうさのくに)相馬郡を領して相馬氏を称し、1189年(文治5)の奥州平泉(ひらいずみ)討伐に功をあげ、陸奥国(むつのくに)行方(なめかた)郡(福島県相馬郡)を与えられた。1323年(元亨3)重胤(しげたね)が一族を率いて行方郡に移住し、小高(おだか)(南相馬市小高区)を本拠として奥州相馬氏の祖となった。以後、岡田、大悲山(だいひさん)氏などの一族とともに磐城(いわき)地方(福島県東部)に勢力を振るい、南北朝内乱では北朝に属して活躍した。1540年(天文9)以降はおもに伊達(だて)氏と抗争を展開した。1611年(慶長16)宇多(うだ)郡中村(福島県相馬市)に城下を移し、以後相馬中村藩6万石の藩主として幕末に至り、明治維新後、子爵となった。なお、重胤の伯父胤氏(たねうじ)の系統は下総相馬氏を継承し、江戸時代には5000石を領する旗本となった。
[田代 脩]
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