●看板【かんばん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
看板
かんばん
billboard
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デジタル大辞泉
かん‐ばん【看板】
㋐商店などで、宣伝のために屋号、扱う商品、うたい文句などを書いて人目につく所に掲げておく板状のもの。
㋑劇場・映画館などで、出し物・俳優名などを書いて入り口に掲げる板。
2 世間に信用のある店の屋号。また、店の信用。「
3 人の注意や関心を引きつけるのに有効なもの。また、人気があり、主力となる人や商品。「
4 表向きの名目。見せかけ。「
5 《看板を外すところから》閉店。特に、飲食店・酒場などがその日の営業を終えること。「そろそろ
6 選挙区内での知名度。評判。「地盤」「鞄(かばん)」と合わせて「三ばん」という。
7 武家の中間(ちゅうげん)・小者(こもの)などが仕着せとした短い衣類。背に主家の紋所などを染め出したもの。
出典:小学館
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世界大百科事典 第2版
かんばん【看板】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
看板
かんばん
商品広告方法の一種で、商品、職業や家名を、文字、絵画あるいはその模型などに表し、店頭、軒先、柱、屋根上に掲げて標識としたもの。東西ともに古くからあり、最初は商品をそのまま示して看板にしていたが、しだいに文字や絵を使って趣向を凝らしたものになった。
看板の起源は平安時代初期の『令義解(りょうのぎげ)』に「肆廛(みせ)に榜標(ぼうひょう)を立て行名(こうめい)を題せよ」とあるように、法令で決められ、都の東西の市(いち)に立てたものであった。しかしながら『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』に描かれた備前(びぜん)福岡の市には、それらしきものはみられず、商品だけが並べられている。これは鎌倉時代の絵巻物に描かれた市のありさまであるが、文献的には室町時代の末期から屋号とともに標識、つまり看板がみられる。次の安土(あづち)桃山時代に入ると、のれんとともに店先に掲げられた小さな絵看板が『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』や埼玉県川越(かわごえ)市喜多院所蔵の『職人尽絵』のなかにみられる。いろいろの看板が盛んに行われるようになったのは江戸時代に入ってからで、商業が発達し、各店舗がそれぞれ自家の商品を認識させ購買意欲を誘い合い、競争が激しくなったためである。最初は小さな入り山形をしたものであったが、しだいに大形化し、これに加えて遠方からでも展望できるように、屋根の上へ掲げることが流行していった。元禄(げんろく)時代(1688~1704)以前は小さなものが多く、享保(きょうほう)(1716~36)以降になると大形化してゆく傾向がみられる。風雨にあっても腐らないケヤキの分厚いものを用いたり、スギ板に黒漆を塗ってそれに金銀箔(はく)を押したり、蒔絵(まきえ)を施したり、銅、鉄を利用して金属製の看板もつくられた。また店舗の主人の趣味を生かした、小ぶりで芸術的な作品がつくられることもあった。江戸末期になると胃腸薬の看板「ウルユス」(空の分解字)が現れた。これはオランダ舶来の薬ULUUSの和名で、これを飲むと胸がスーッとする、つまり「空(から)」になるという洒落(しゃれ)である。
江戸時代に盛行した看板を大別してみると、次の7種類に分類される。
(1)実物看板 多く店頭に掲げて販売品を知らせたもの。麻(麻苧(まお))屋、笠(かさ)・傘屋、かもじ屋、金箔屋、合羽(かっぱ)屋、絵の具屋。
(2)模造看板 商品が小さいときに拡大して認識させる。きせる屋、袋物屋、櫛(くし)・笄(こうがい)屋、足袋(たび)屋、下駄屋、そろばん屋、扇屋、金物道具屋、帳面屋、煙草(たばこ)屋、将棋(しょうぎ)屋、八百屋。
(3)商品と関係ある物 水物、粉物などの類。酒屋、油屋、酢屋、葉茶屋(お茶の葉を売る店)などはその容器。生薬(きぐすり)屋、砂糖屋は袋物。銭両替(ぜにりょうがえ)屋は寛永通宝(かんえいつうほう)あるいは天保銭(てんぽうせん)など貨幣。質屋は質札の反故(ほご)。
(4)判じ物 櫛屋の九四(くし)あるいは十九四(とくし)(すき櫛)の十三屋、二十三屋。焼きいも屋の九里四里(くりより)うまい十三里、その味は栗(くり)(九里)に近しの八里半。饅頭(まんじゅう)屋の馬の置物(あら甘(うま)し〈駻馬(あらうま)〉)。風呂(ふろ)屋の弓に矢をつがえた実物(湯入る)。甘酒屋の三国一または富士山の絵(ともに一夜でできた意)。
(5)行灯(あんどん)看板 商売は昼間ばかりでなく夜間でも営業する店舗。ろうそく屋、そば・うどん屋、料理茶屋、蒲焼(かばや)き屋、船宿、寄席(よせ)、芝居茶屋。
(6)幟(のぼり)看板 紅屋、すし屋、氷屋、釣り堀。
(7)文字看板 障子や「のれん」を利用する。髪結い床、米屋、魚屋、居酒屋、一膳飯(いちぜんめし)屋。
看板は、商業経済の発達につれて同業が増え、当然のことながら座して売ることから、強力なる宣伝によって自家商品を他人に認識させる必要に迫られ、漸次発展多様化し、世人の注目を浴びることとなった。この傾向は欧米文化の流入によって昭和に入ると急速に高まった。ペンキ塗りの大看板がはびこり、さらには看板ではもの足りなくなって、東西屋(おひろめ屋)を利用し、ビラをまいたりした。時代の変化につれ飛行機を利用したり、さらにラジオやテレビを利用して顧客の把握に努めているのが現況で、のれん、看板の時代はしだいに遠のいていく観が強い。
[遠藤 武]
中国
唐代(7世紀)には、酒店の標識として四角あるいは長方形の布片を竿(さお)の先に下げて門前に立てた。四角のものは酒旗、長方形のものは酒旆(しゅはい)または酒帘(しゅれん)とよばれたが、それ以前には看板らしきものの記録はない。この形式のものは現在も用いられており、日本でも縁日の出店や夏季の氷店あるいは行商の車などにみられ、もっとも素朴な看板といえる。宋(そう)代(10世紀)になると流通機構もしだいに整って看板も多くみられるようになり、文化水準の高い南方では板に彩色をして文字を記した招牌(チャオハイ)が多く用いられ、文化が低く文字を解する者の少ない北方では商品の模型やこれに関係のあるものを掲げて標識とし、望子(ワンズ)とよばれた。のちに北方でも招牌が多くみられるようになったが、この二つの様式は現在も中国の看板の要素となっており、家屋の壁や塀に直接描いた大きな招牌も多くみられる。
[佐藤農人]
欧米
もっとも古いものとしては、赤土で素焼きにしたヤギのレリーフを店頭に掲げた乳屋や、2人の男性が棒に吊(つ)るした酒壺(さけつぼ)を担いでいる酒屋の看板などが、79年に埋没したポンペイの遺跡にみられるが、古代エジプトやギリシアの看板についてはさだかでない。ローマ時代の居酒屋はキヅタの枝を店頭に掲げて標識としたが、酒神バッカスの祭礼にキヅタを用いたところからといわれ、イギリスでは居酒屋を兼ねた旅宿がこれを掲げ、現在もキヅタをあしらった酒店の看板はヨーロッパ各地にみられる。ポンペイのレリーフに似たデザインで、棒に吊るした大きなブドウの果房を2人の男性が担いでいる看板がフランスのシャンパーニュ地方にみられるが、酒造りの盛んなこの地方には酒樽(さかだる)や酒瓶、酒杯などのほか、ブドウの果房や枝葉をあしらった看板は数多い。古代・中世では宿泊者の身分によって旅宿が決まっており、キリスト教徒の場合は十字架、異教徒の場合は星または太陽、軍人の場合は武器というように、宿泊者の身分を表すしるしを軒先に掲げた。
この風習が一般の商店にも及んで、商う物を具体的に表す標識を店頭に掲げるようになり、靴店では靴、毛糸店では羊または糸繰り車、農具店では犂(すき)、刃物店ではナイフ、仕立店では鋏(はさみ)などを用いた。なかには質店の3個の黄金色の玉や理髪店の赤白のだんだら棒などのように特殊ないわれをもつ標識もある。黄金色の玉は、聖ニコラスが3人の処女に結婚の費用として黄金の入った袋を与えたという故事から、聖ニコラスを守護神とする質店が用いたとも、ロンドンで質店や銀行を開いた一族の祖先が医薬を業としていて丸薬を表す3個の黄金の玉を紋章としたので、これを質店の目印にしたともいう。だんだら棒は、昔は理髪師が外科医を兼ねていたので血に染まった腕に白い包帯を巻いた形を標識にしたといわれ、現在は赤白に青を加えて装飾的効果を著しくするとともに、赤は動脈、青は静脈と解釈されて理髪店の国際的な標識となっている。旅宿に掲げられた身分識別のためのしるしに倣い、一般商店でもキリスト教徒や異教徒の注意をひくために、それぞれの宗教に関係のあるものを用いたりしたが、やがて同業者が増えるに伴い、文字を解する者が少ないので、各自の姓名を絵で表したり、それぞれ独特な標識を用いるようになり、これらの看板は方角や道案内の目印にもされた。16、17世紀にはいっそう人々の関心をひく趣向を凝らした看板が現れ、大きさを競うに至ったので、ロンドンやパリなどの大都市では、大きさを制限したり道路上への設置を禁止して壁に密着させるようにする法律ができたりした。18世紀末には夜間営業の店の看板に灯火を用いるようになり、文字の読める者もしだいに増えて、19世紀には店名を書いた看板がみられるようになった。
アメリカでは自動車道路の発達と広大な土地を反映して、路傍の至る所に巨大な看板がみられるが、一般的にはヨーロッパ風のクラシックなものと、ポップ・アート風の商業性の強いものとに分けられ、また州によってそれぞれ特徴がある。東部のニュー・イングランドにはイギリス風の板絵の看板が多くみられ、陽光に恵まれた南部のフロリダ地方には明るい色彩の軽快なタッチのものが多く、かつてフランスが領有したニュー・オーリンズにはフランスの影響を強く受けたしゃれた看板やフランス語を用いたものも多くみられる。西部にはカウボーイの人形をはじめ幌(ほろ)馬車や牛馬など開拓時代をしのばせるデザインのものが多いが、ラス・ベガスで多くみかけるウェディング・チャペルの看板には「24時間いつでも挙式する」と記されたものがあり、6週間滞在して市民権を得たのち離婚手続をとり、またすぐ次の結婚ができる仕組みになっている。
[佐藤農人]
『林美一著『江戸看板図譜』(1978・三樹書房)』▽『遠藤武著『図説日本広告変遷史』(1961・中日新聞社)』▽『向田直幹著『ヨーロッパの看板1・2』(1979、82・美術出版社)』▽『向田直幹著『アメリカの看板』(1981・美術出版社)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典
かん‐ばん【看板】

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