●知行国【ちぎょうこく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
知行国
ちぎょうこく
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デジタル大辞泉
ちぎょう‐こく〔チギヤウ‐〕【知行国】
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防府市歴史用語集
知行国
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世界大百科事典 第2版
ちぎょうこく【知行国】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
知行国
ちぎょうこく
律令(りつりょう)制の国のうち、国司以外の公卿(くぎょう)や社寺などに行政・支配の実権を与え、その国の収益を得させる制度。沙汰(さた)国、給国(きゅうこく)などともいい、これを与えられた公卿らを知行(ちぎょう)主とか国主という。
律令制の地方行政制度である国司制度がしだいに崩れ、国守の地位が利権化する一方、公卿以下官僚貴族の俸禄(ほうろく)制度が無実化するに伴い、11世紀中ごろから、公卿の子弟を諸国の守(かみ)に任命し、その公卿に行政・支配の実権(吏務(りむ)とか知行、沙汰などという)をとらせて収益を得させることが、しだいに慣例となった。これは同じく皇親・貴族の給与や俸禄を補うための年給(ねんきゅう)制や院宮分国(いんきゅうぶんこく)制のように表向きの制度ではなかったが、院政時代に入って急速に発展し、上は摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)から、下は四、五位の廷臣にまで普及し、摂関のように一時に2、3か国を知行する者も現れ、平家全盛期には30余か国が平家一門の知行国となったといわれたが、さらに造営料として社寺に与えられたものや、将軍家知行国もおこり、1215年(建保3)には、全国66か国中、34か国以上が知行国であったことを示す記録もある。
知行国を与えられた知行主は、一般公卿の場合はその子弟・近親を国守に推挙し、摂関あるいは前摂関などの場合はその近臣を申任する例が多い。知行主の立場は、尾張(おわり)国(愛知県)を知行した関白藤原忠実(ただざね)が「関白、太政(だいじょう)大臣にして受領(ずりょう)を兼ぬ」(『殿暦(でんりゃく)』)と自嘲(じちょう)したように、一般受領すなわち国守と同じで、多くは目代(もくだい)を派遣して吏務をとり、封物、納官物などを進済する一方、それ以外の収益を得分(とくぶん)とした。なお、同じく院政時代以降急増した院宮分国(上皇、女院(にょいん)や皇后宮などに料物を納める国として、院分とか皇后宮分と指定されたもの)が知行国にあてられた例も少なくないが、その場合は、知行主は納官物などのうちから分国主に料物を進納したと考えられる。
知行主が吏務をとるのは、当然その国守の任期の間であるが、これも一般受領と同じく、成功(じょうごう)などの手段によって延任、重任(ちょうにん)するのが普通となり、さらに鎌倉中期以降は、一条(いちじょう)家の土佐(とさ)(高知県)、中院(なかのいん)家の上野(こうずけ)(群馬県)、西園寺(さいおんじ)家の伊予(いよ)(愛媛県)、あるいは東大寺の周防(すおう)(山口県)などのように、一家一寺で特定の国を世襲的に相伝知行する例が多くなり、また知行国と院宮分国をあわせてほとんど全国を覆い尽くす状況のなかで、両者は同質化し、私領化と荘園(しょうえん)化の道をたどりつつ、室町時代末に及んだ。
[橋本義彦]
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精選版 日本国語大辞典
ちぎょう‐こく チギャウ‥【知行国】
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旺文社日本史事典 三訂版
知行国
ちぎょうこく
知行国主は子弟や近親者を国守とし,現地には目代を派遣して治めさせ,その国の収入の大半を得た。院政時代に発達,平氏は30余国,源頼朝も多くの関東知行国をもった。のち荘園の拡大と武士の侵略により知行国主の権限は縮小し室町末期に消滅した。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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