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石上氏【いそのかみうじ】

世界大百科事典 第2版

いそのかみうじ【石上氏】
古代の有力氏族の一つ。元来は物部氏を構成した一族で,大和国山辺郡(,天理市布留町)を本拠とし,その地でヤマト朝廷の剣神を祭る石上神宮祭祀にあたった。684年(天武13)物部麻呂は連(むらじ)から朝臣(あそん)の(かばね)を与えられ,このときから,麻呂の一族は石上を氏とすることになった。691年(持統5)には,大三輪,雀部など17氏とともに,祖先らの〈墓記〉を上進させられた。麻呂は,このあと左大臣にまですすみ,子の乙麻呂も中納言まですすむなど,8世紀前半の政界で活躍がめだった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

石上氏
いそのかみうじ
物部(もののべ)氏の一族。石上の氏名は、大和(やまと)王権の武器庫であり、物部氏の氏神(うじがみ)でもあった石上神宮の鎮座地、大和国山辺(やまのべ)郡石上(奈良県天理市布留(ふる)町)の地名に基づく。『日本書紀』によれば、物部連麻呂(むらじまろ)の名を、686年(朱鳥1)以降、石上朝臣(あそみ)麻呂と記すから、物部連が朝臣の新姓(かばね)を賜る684年(天武天皇13)ごろ、麻呂らの一族を中心に石上と氏の名を改めたのであろう。物部氏にはほかに榎井(朴井)(えのい)氏らがあり、壬申(じんしん)の乱(672)では麻呂が大友(おおとも)皇子の側に属したため、一時物部氏の氏上(うじのかみ)の地位を榎井氏に奪われるが、その後麻呂が政界の要職を歴任し、物部氏の本流としての立場が確立した。麻呂は正二位左大臣、子の乙麻呂(おとまろ)は従三位(じゅさんみ)中納言(ちゅうなごん)兼中務卿(なかつかさきょう)、孫の宅嗣(やかつぐ)は正三位大納言となり、一族は栄えたが、平安朝以降は不振。伝統的な武門の家柄として、元日および大嘗会(だいじょうえ)の儀式に、内物部(うちのもののべ)を率い、榎井氏と楯桙(たてほこ)をたてる任務を負っていた。[加藤謙吉]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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