@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

石川丈山【いしかわ じょうざん】

美術人名辞典

石川丈山
江戸前期の漢詩人・隠士。三河生。名は別号に六々山人・四明山人・凹凸窩等。徳川家康に仕えたが薙髪して京都に閑居、儒学藤原惺窩に遊び、林羅山堀杏庵と交わる。寛永18年(1641)一乗寺詩仙堂を築く。寛文12年(1672)歿、90才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

いしかわ‐じょうざん〔いしかはヂヤウザン〕【石川丈山】
[1583~1672]江戸前期の漢詩人・書家三河の人。名は重之、(あざな)は孫助。別号、六六山人など。徳川家康に仕え、大坂夏の陣で活躍。のち京都に詩仙堂を建てて住んだ。詩文集に「新編覆醤集(ふしょうしゅう)」。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

石川丈山 いしかわ-じょうざん
1583-1672 江戸時代前期の漢詩人。
天正(てんしょう)11年10月生まれ。徳川家康の近習を辞し,藤原惺窩(せいか)に師事する。寛永12年(1635)から京都にすみ,詩仙堂をたてて隠遁(いんとん)。書にすぐれ,茶人としても知られた。寛文12年5月23日死去。90歳。三河(愛知県)出身。名は重之,凹。通称は嘉右衛門。号は四明山人など。著作に「新編覆醤(ふしょう)集」「北山紀聞」など。
【格言など】無益の事は負けて居申すべき事(武士の弟子にあたえた訓戒)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

いしかわじょうざん【石川丈山】
1583‐1672(天正11‐寛文12)
江戸初期の漢詩人。名は凹。通称は嘉右衛門。丈山は字であるが,号としても扱われる。三河の人。徳川家康の臣で,大坂夏の陣に戦功があったが,軍令に背いたかどで罰せられ,出家してを学び,また藤原惺窩に入門した。のち京都の一乗寺村に詩仙堂を営み,詩文に遊ぶ生涯を送った。漢詩文がまだ儒学に従属していた江戸初期にあって,儒学に関心を示さず,詩文をもっぱらとした点で,江戸時代の漢詩人のとされる。当時一般には五山文学のなごりを引いて宋詩の影響が強かったが,丈山の詩風は,盛唐詩を典範として情を重んずるというものであった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

いしかわじょうざん【石川丈山】
1583~1672 江戸前期の漢詩人・書家。三河の人。本名、重之。号、六六山人・詩仙堂など。武人として徳川家に仕えたが、のち藤原惺窩せいかに詩を学ぶ。洛北の一乗寺に詩仙堂を建て隠棲いんせい。著「詩仙詩」「覆醬ふしよう集」「詩法正義」など。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

石川丈山
いしかわじょうざん
[生]天正11(1583).10. 三河
[没]寛文12(1672).5.23. 京都
江戸時代前期の漢詩人。名,凹。初名,重之。別号,六々山人。祖父以来徳川家康に仕えて武名があり,丈山もその幕下にあったが,大坂の役に軍令を犯したため退けられて京都に閑居。藤原惺窩 (せいか) に学んで詩名が高く,「日東の李杜」と称された。寛永 18 (1641) 年比叡山のふもとの一乗寺村に詩仙堂を築いて悠々自適の生活をおくり,後水尾上皇の召にも応じなかった。書や画にも巧みであった。主著『覆醤 (ふしょう) 集』 (71) ,『新編覆醤集』『本朝詩仙注』『詩法正義』。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

石川丈山
いしかわじょうざん
(1583―1672)
江戸初期の漢詩人。名は凹(おう)。丈山は字(あざな)。六六山人、四明山人、凹凸(おうとつか)などと号した。代々徳川氏に仕える三河武士の家に生まれたが、大坂夏の陣のとき軍律を犯してとがめを受けたため武士を捨て、藤原惺窩(せいか)に入門して詩を学んだ。1641年(寛永18)洛北(らくほく)一乗寺に詩仙堂を築いて隠棲(いんせい)し、林羅山(らざん)、元政上人(げんせいしょうにん)ら当時著名な文化人との風雅の交友を楽しみ、詩文に遊ぶ自適の生涯を送った。詩仙堂の名は、中国の詩人36人を選んで狩野探幽(かのうたんゆう)にその像を描かせ、壁に掲げたことにちなむ。儒学に比して漢詩の地位の低かった江戸初期に、詩作をもっぱらとした点で特異な存在であり、作品は『新編覆醤集(ふしょうしゅう)』に収められる。とくに「富士山」と題する七絶、「仙客来遊す雲外の巓(いただき)。神竜栖(す)み老ゆ洞中の淵(ふち)。雪は(がんそ)の如く煙は柄(え)の如し。白扇倒(さかさま)に懸(かか)る東海の天」は人口に膾炙(かいしゃ)する。[日野龍夫]
『山岸徳平校注『日本古典文学大系 89 五山文学集・江戸漢詩集』(1966・岩波書店)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

いしかわ‐じょうざん【石川丈山】
江戸初期の漢詩人、書家。本名重之。号六六山人、四明山人、詩仙堂。徳川家の家臣であったが、大坂夏の陣で、軍規を犯したことから辞して剃髪。のち藤原惺窩(せいか)に儒学を学んで比叡山麓に詩仙堂を建て、文筆生活に専念した。著に「詩仙詩」「詩法正義」など。天正一一~寛文一二年(一五八三‐一六七二

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

石川丈山
いしかわじょうざん
1583〜1672
江戸前期の漢詩人・朱子学者
もと三河(愛知県)の武士。徳川家康に仕えたが,京都に出て藤原惺窩 (ふじわらせいか) の門人となった。朱子学者としてよりも,漢詩人として著名で,荻生徂徠 (おぎゆうそらい) も「東方詩聖」と称賛。のち京都一乗寺に詩仙堂を建てて隠居した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

石川丈山」の用語解説はコトバンクが提供しています。

石川丈山の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation