●石橋山の戦い【いしばしやまのたたかい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
石橋山の戦い
いしばしやまのたたかい
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日本大百科全書(ニッポニカ)
石橋山の戦い
いしばしやまのたたかい
1180年(治承4)8月、相模(さがみ)国石橋山(神奈川県小田原市南西部)で、平氏方の大庭景親(おおばかげちか)らが源頼朝(よりとも)の軍を破った戦闘。8月17日、伊豆北条に挙兵し、同国目代(もくだい)の山木兼隆(やまきかねたか)を討った頼朝は、ついで三浦氏の軍との合流を望み相模に進出、石橋山に布陣した。しかし23日夕、景親勢がこれを強襲、伊東祐親(いとうすけちか)も背後をうかがった。三浦の大軍との合流を阻止された頼朝勢は大敗したが、飯田家義(いいだいえよし)、梶原景時(かじわらかげとき)など、景親の手に属しながらも内応する者があり、彼らの計らいで絶命の危機を逃れた頼朝は、箱根山中を経て土肥郷(どいごう)(神奈川県湯河原町、真鶴(まなづる)町)に脱出、28日には真鶴岬から海上を安房(あわ)(千葉県)に渡り、再挙を図ることになった。
[杉橋隆夫]
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旺文社日本史事典 三訂版
石橋山の戦い
いしばしやまのたたかい
1180年,配流地の伊豆で目代山木兼隆を討った頼朝軍は,相模の三浦氏との連携を求めて石橋山に兵を進めたが,平家方の大庭景親らの圧倒的な兵力の前に大敗,頼朝はようやく海路で安房 (あわ) (千葉県)にのがれた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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