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石橋忍月【いしばし にんげつ】

美術人名辞典

石橋忍月
評論家・小説家・俳人。本名友吉、別号に福洲学人・筑水漁夫等。山本健吉の父。東大卒。福岡県生。大学在学中から『女学雑誌』『国民之友』等に評論を発表。坪内逍遙森鴎外らの作品を論じ第一線で活躍。とくに『浮雲褒貶』は優れており、また森鴎外と論争になった『舞姫』批判は特に有名。晩年は弁護士を務めた。大正15年(1926)歿、62才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

いしばし‐にんげつ【石橋忍月】
[1865~1926]評論家・小説家。福岡の生まれ。本名、友吉。東大在学中から評論を書き、「舞姫」の批評に発した森鴎外との論争は有名。文芸評論家山本健吉の父。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

石橋忍月 いしばし-にんげつ
1865-1926 明治時代の文芸評論家,小説家。
慶応元年9月1日生まれ。山本健吉の父。東京大学予備門在学中からドイツ文学の知識をもとに坪内逍遥(しょうよう),二葉亭四迷らの作品を論評。明治23年から森鴎外(おうがい)の「舞姫」「うたかたの記」をめぐり鴎外と論争。「惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)」などの小説もかいた。のち弁護士となり,判事もつとめた。大正15年2月1日死去。62歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。帝国大学卒。本名は友吉。別号に気取半之丞。
【格言など】美人如何程(いかほど)窈窕(ようちょう)なるも,情無ければ木偶(でく)なり。雛人形なり(「妹と背鏡を読む」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

いしばしにんげつ【石橋忍月】
1865‐1926(慶応1‐昭和1)
明治期の文芸評論家,小説家。筑後国(現,福岡県)生れ。本名友吉。別号福洲学人など多数。東大独法科卒。東大在学中に発表した〈妹(いも)と背鏡(せかがみ)を読む〉〈浮雲の褒貶(ほうへん)〉(以上1887)で文芸評論家として認められ,以後多くの作品を批評して文芸時評の基礎を作った。森鷗外と論争になった〈《舞姫》論〉(1890)はとくに有名である。彼の批評はアリストテレスやレッシングの理論を借りた裁断的な傾向が強いが,批評に客観的基準を作ろうとした点に功績がある。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いしばしにんげつ【石橋忍月】
1865~1926) 評論家・小説家。筑後の人。本名、友吉。東大卒。内田魯庵と並ぶ明治20年代の代表的な批評家。森鷗外との論争で知られる。小説「露子姫」、「石橋忍月評論集」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

石橋忍月
いしばしにんげつ
[生]慶応1(1865).9.1. 筑後,湯辺田
[没]1926.2.1. 長崎
文芸評論家,小説家。本名,友吉。東京大学独法科卒業。内務省の役人,地裁判事,弁護士,県会議員など多彩な職を歴任した。文芸評論にたずさわったのは東大予備門 (のちの第一高等学校) に在学中からで,レッシング,シラー,ゲーテらについての造詣を駆使して,『女学雑誌』『江湖新聞』などを舞台に活躍した。小説にも手を染め,『捨小舟』 (1888) ,『花盗人』 (96) などの作がある。また森鴎外との『舞姫』や『文づかひ』をめぐる執拗な論争も有名だが,文学者としての命脈は明治 30年代に入ってまもなく尽きた。文芸評論家山本健吉 (本名,石橋貞吉) の父。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

石橋忍月
いしばしにんげつ
(1865―1926)
小説家、文芸評論家。筑後(ちくご)(福岡県)豊岡村に生まれる。本名友吉。1887年(明治20)帝国大学法科に入学、独法を学んだが、早くよりドイツ文学に親しみ、レッシングなどを批評の基準として、明治20年代前半の文壇に文芸評論家として活躍する。とくに『舞姫』評価をめぐっての森鴎外(おうがい)との論争は、日本近代文学史上初の本格的な文学論争として有名。また『想実論』(1890)など、文学の本質を考察した評論もあるが、一方『お八重』(1889)や『惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)』(1894)などの小説も発表している。帝大卒業後、内務省に入り、のち石川県金沢に移住、弁護士を開業、しだいに文学から離れた。99年(明治32)長崎に移住、同地で判事、弁護士、県会議員などを務めた。三男が文芸評論家の山本健吉である。[大屋幸世]
『『明治文学全集 23 石橋忍月他集』(1971・筑摩書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

いしばし‐にんげつ【石橋忍月】
文芸評論家、小説家、弁護士。ドイツ文学の素養をもとに、理想主義的、浪漫的批評を発表。慶応元~大正一五年(一八六五‐一九二六

出典:精選版 日本国語大辞典
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