●石窟寺院【せっくつじいん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
石窟寺院
せっくつじいん
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デジタル大辞泉
せっくつ‐じいん〔セキクツジヰン〕【石窟寺院】
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世界大百科事典 第2版
せっくつじいん【石窟寺院 cave temple】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
石窟寺院
せっくつじいん
岩山の断崖(だんがい)面を利用して掘削した洞窟形式の宗教建築。本来は修行者が隠遁(いんとん)する簡単な洞窟から発展したものである。主として、インドの三大宗教である仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教によってつくられ、その影響を受けて中央アジアや中国にも広まっていった。石窟寺院という語は英語のcave templeあるいはrock-cut templeの漢語訳で、略して石窟、窟院ともいう。中国では敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)第17号窟を蔵経洞というように、個々の窟を洞とよぶこともある。現在もっとも古い石窟は、インドのビハール州にあるアージビカ派僧侶(そうりょ)の窟で紀元前3世紀に始まる。仏教窟は前2世紀ごろから現れ、石窟内にストゥーパを設けて礼拝するチャイティヤ窟(塔院)と、僧侶が修行する部屋を設けたビハーラ窟(僧院)の2形式ができ、しだいにビハーラ窟に仏像を置いて本尊として礼拝するように変化した。アフガニスタンでは紀元後4世紀にバーミアン石窟がつくられ、中国では4世紀中ごろに敦煌莫高窟がつくられ、やがて雲崗(うんこう)、竜門(りゅうもん)など各地でこのような形式の石窟が広まっていった。石窟内の壁面には信者に絵解きをするための釈迦(しゃか)の本生譚(ほんじょうたん)、仏伝図、造営者の伝記などを描いて荘厳(しょうごん)した。朝鮮半島では慶州石窟庵(あん)や軍威石窟でわずかに石窟寺院に似た形式が伝わっているが、日本ではさらに退化したものとして磨崖仏(まがいぶつ)がつくられただけで、本格的な石窟寺院は発達しなかった。
[江谷 寛]
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精選版 日本国語大辞典
せっくつ‐じいん セキクツジヰン【石窟寺院】
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旺文社世界史事典 三訂版
石窟寺院
せっくつじいん
前4世紀ごろからインドで造られ,仏教の伝播に伴って中央アジア・中国その他の諸国に影響し,東洋美術史上特筆すべき一連の石窟芸術を生んだ。彫刻・絵画・文献なども残され,貴重な史料である。インドには約1200窟が現存。アジャンター・エローラが有名。アフガニスタン・中央アジアにもインド式石窟群がある。中国では4世紀半ばすぎの敦煌 (とんこう) の千仏洞が始まりで,その他雲崗 (うんこう) 石窟・竜門 (りゆうもん) 石窟・響堂山 (きようどうさん) 石窟などがある。朝鮮では,新羅 (しんら) のころ,慶州付近に組立式の石窟庵が造られた。
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