●社会主義者鎮圧法【しゃかいしゅぎしゃちんあつほう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
社会主義者鎮圧法
しゃかいしゅぎしゃちんあつほう
Sozialistengesetz
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デジタル大辞泉
しゃかいしゅぎしゃちんあつ‐ほう〔シヤクワイシユギシヤチンアツハフ〕【社会主義者鎮圧法】
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世界大百科事典 第2版
しゃかいしゅぎしゃちんあつほう【社会主義者鎮圧法 Sozialistengesetz】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
社会主義者鎮圧法
しゃかいしゅぎしゃちんあつほう
Sozialistengesetz ドイツ語
1878年10月21日、ドイツで社会主義運動の弾圧を目的に公布された法律。かねて社会主義運動を敵視していたビスマルクは、同年、皇帝狙撃(そげき)事件が起こると、これを口実に議会の協力を得て同法を制定した。この法律は、「社会民主主義、社会主義もしくは共産主義的な活動」によって国家、社会秩序の転覆を図ろうとする結社、集会、印刷物、寄付金の徴集などを禁止したほか、特定地域の部分的戒厳令の施行、違反者の居住地制限などを規定していたので、社会主義運動は大きな打撃を受け、同法施行後の10年間に、1299の印刷物、332の団体が禁止された。しかし社会主義者の被選挙権を奪うことはできなかったから、ドイツ社会主義労働者党は地下活動によって党勢を拡大、90年2月の選挙では142万票、35議席を獲得した。そこでビスマルクは同法の強化を図ろうとしたが、議会が90年1月、同法の有効期限の延長を否決したため、同法は9月失効し、ビスマルク退陣の一因をつくった。
[松 俊夫]
『フリッケ著、西尾孝明訳『ドイツ社会主義運動史』(1973・れんが書房)』
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精選版 日本国語大辞典
しゃかいしゅぎしゃ‐ちんあつほう シャクヮイチンアツハフ【社会主義者鎮圧法】
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旺文社世界史事典 三訂版
社会主義者鎮圧法
しゃかいしゅぎしゃちんあつほう
Sozialistengesetz
2度の皇帝暗殺未遂事件を契機に,社会主義的な結社の禁止,集会・出版の自由の制限を規定した。しかし,非合法活動やドイツ社会民主党の勢力は衰えなかったため,1880年代に労働者の疾病保険,災害保険などの社会政策を実施し,「アメとムチの政策」を行った。1890年ビスマルクの失脚により廃止された。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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