●神功皇后【じんぐうこうごう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
神功皇后
じんぐうこうごう
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朝日新聞掲載「キーワード」
神功皇后
(2012-05-01 朝日新聞 朝刊 奈良1 1地方)
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デジタル大辞泉
じんぐう‐こうごう〔‐クワウゴウ〕【神功皇后】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
神功皇后 じんぐうこうごう
父は気長宿禰(おきながのすくね)王。「日本書紀」によれば,仲哀天皇8年天皇の熊襲(くまそ)征討にしたがい筑紫(つくし)におもむいたが,天皇が急死。翌年みずから兵をひきいて新羅(しらぎ)を征し,百済(くだら),高句麗(こうくり)を帰服させた。帰国後,応神天皇を出産。国政を69年間とり,100歳で没したという。名は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。
出典:講談社
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防府市歴史用語集
神功皇后
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世界大百科事典 第2版
じんぐうこうごう【神功皇后】
[神功皇后伝説の大要]
熊襲(くまそ)を撃つため筑紫に赴いた仲哀天皇は,海のかなたの宝の国を授けようという神託を得る。この神言は武内宿禰(たけうちのすくね)が請い,神がかりした神功皇后を通じて告げられた。その宝の国とは先進文明に輝く朝鮮半島諸国のことであったが,これを信じなかった仲哀天皇は急死する。
出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)
神功皇后
じんぐうこうごう
記紀や『風土記(ふどき)』などにみえる伝承上の人物。『日本書紀』によると、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、名を気長足姫尊(息長足姫命)(おきながたらしひめのみこと)という。父は開化(かいか)天皇の曽孫(そうそん)、気長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)、母は葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。『古事記』では、父は開化天皇の玄孫で、母は新羅(しらぎ)国の王子天之日矛(あめのひぼこ)の5世の孫にあたるという。仲哀天皇が熊襲(くまそ)を討つため筑紫(つくし)の橿日宮(かしひのみや)(香椎宮(かしいぐう)。福岡市東区香椎町に所在)にきたとき、天照大神(あまてらすおおみかみ)と住吉(すみよし)三神が皇后にのりうつって託宣を下したが、仲哀はこれを信じなかったために急死した。そこで神功は、臨月であったにもかかわらず新羅を討ち、帰国後、筑紫の宇美(うみ)で後の応神(おうじん)天皇を出産。さらに大和(やまと)に帰還して麛坂(かごさか)・忍熊(おしくま)2王の反乱を鎮定し、応神が即位するまで69年間も政治をとっていたという。『書紀』にはさらに多くの日朝関係記事が記され、なかには干支(かんし)二運(120年)を下げれば史実と考えられるものもある。また4か所にわたって『魏志(ぎし)』や『晋書(しんじょ)起居注』が引用され、編者が神功を倭(わ)の女王(卑弥呼(ひみこ))に比定していたことは疑いない。
この伝説は、古くから朝廷に伝えられていた朝鮮半島侵略の物語に、各地で語られていた母子神信仰に基づく民間伝承的なオホタラシヒメの伝承や、京都府綴喜(つづき)郡に居住した古代豪族息長(おきなが)氏の伝承などが加わり、さらに7~8世紀に古代天皇制の思想によって潤色を受け、最終的に記紀に定着したと考えられる。
[塚口義信]
『塚口義信著『神功皇后伝説の研究』(1980・創元社)』
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精選版 日本国語大辞典
じんぐう‐こうごう ‥クヮウゴウ【神功皇后】
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典
神功皇后
じんぐうこうごう
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旺文社日本史事典 三訂版
神功皇后
じんぐうこうごう
記紀によると,熊襲 (くまそ) 征討の途中,神の怒りにふれて死んだ仲哀天皇のあとをうけ,のちの応神天皇を懐妊したまま新羅 (しらぎ) に遠征しこれを征服(三韓征討)。帰国後,応神天皇を生み,その即位までの69年間摂政 (せつしよう) として武内宿禰 (たけしうちのすくね) とともに政治を行ったという。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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