●神泉苑【シンセンエン】
デジタル大辞泉
しんせん‐えん〔‐ヱン〕【神泉苑】
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世界大百科事典 第2版
しんせんえん【神泉苑】
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国指定史跡ガイド
しんせんえん【神泉苑】
京都府京都市中京区門前町にある庭園。794年(延暦13)の平安京造営の際に、桓武(かんむ)天皇が大内裏(だいだいり)南の沼沢に設けた禁苑(天皇の庭)である。つねに清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられ、12万m2もの広さの苑内には大池や泉、森林などの自然を取り入れた庭が造られて、敷地の北部には宮殿が建てられた。天皇や貴族はここで舟遊びや観花、弓射、相撲などの宴を催し、御池通(おいけどおり)の名の由来にもなった。1602年(慶長7)の徳川家康による二条城築城の際に敷地が削減されたが、現在も平安の面影を残している。境内には願いが叶う法成橋(ほうじょうばし)や、年の恵方(えほう)を祀る歳徳神(としとくじん)がある。また、神泉苑は霊場としても知られ、824年(天長1)に大干ばつに悩む淳和(じゅんな)天皇の勅命により、弘法大師(空海)が神泉苑に善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請して雨乞いの修法をほどこすと、法成就池(ほうじょうじゅいけ)から龍が天に昇り、雨が降ったという伝説が残っている。863年(貞観5)には御霊会(ごりょうえ)が行われ、祇園祭山鉾(ぎおんまつりやまぼこ)巡行の起源となった。源義経と静御前(しずかごぜん)の出会いの場としても有名である。1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。地下鉄東西線二条城前駅から徒歩約4分。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
神泉苑
しんせんえん
「しんぜんえん」とも読む。平安京の禁苑。二条南大宮西(京都市中京区)に、東西2町、南北4町の地を占めた。泉、池、森林などの自然の景観を利用し、正殿の乾臨閣、左閣、右閣、東西の釣台(つりだい)などの建物があり、寝殿造の先駆といえる。桓武(かんむ)天皇以来、天皇の行幸・遊宴がしばしば行われた。9世紀の中ごろ以後になると宗教的性格が強まり、雨乞(あまご)いの祈祷(きとう)や御霊会(ごりょうえ)を行う霊場となった。中世以降は荒廃し、現在は池を中心としたごく一部が、東寺(とうじ)に属する寺院として残っている。
[吉田早苗]
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精選版 日本国語大辞典
しんぜん‐えん ‥ヱン【神泉苑】
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旺文社日本史事典 三訂版
神泉苑
しんせんえん
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