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秋田実季【あきた さねすえ】

美術人名辞典

秋田実季
江戸前期の常陸宍戸藩主。出羽秋田秋田城介子孫。愛季の子。幼名安東太郎。天正18年(1590)豊臣秀吉に服し、関ヶ原の戦では徳川家康方に加わり、戦功を以て慶長7年(1602)宍戸藩五万石を与えられた。同10年秋田城介に任じられ、寛永8年(1631)致仕、のち伊勢の永松寺に蟄居する。薙髪して凍蚓と号した。万治2年(1659)歿、84才。

出典:(株)思文閣

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

秋田実季 あきた-さねすえ
1576-1660* 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天正(てんしょう)4年生まれ。安東(秋田)愛季(よしすえ)の子。天正の末ごろ出羽(でわ)の秋田など3郡を領した。関ケ原の戦いで徳川方につき,慶長7年常陸(ひたち)(茨城県)宍戸(ししど)に転封(てんぽう),宍戸藩主秋田家初代となる。5万石。10年秋田城介(すけ)。のち失政を理由に伊勢(いせ)(三重県)朝熊(あさま)に居(ちっきょ)を命じられた。万治(まんじ)2年11月29日死去。84歳。通称は安東太郎。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

あきたさねすえ【秋田実季】
1576‐1659(天正4‐万治2)
戦国・江戸前期の大名。出羽国檜山(ひやま)城主安東愛季(ちかすえ∥よしすえ)の第2子で,藤太郎などと名のる。1589年(天正17)居城を湊(秋田市土崎)に移し,秋田城介を名のり,以後秋田をとした。秋田,檜山,比内の3郡を支配し,翌々年豊臣秀吉より領国5万石余を安堵され,領国内設置の太閤蔵入地の代官となった。1602年(慶長7)常陸国宍戸5万石に転封,30年(寛永7)伊勢朝熊に配流され,同地で死去した。

出典:株式会社平凡社
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