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秋田雨雀【あきた うじゃく】

美術人名辞典

秋田雨雀
評論家・劇作家青森県生。名は徳三。プロレタリア文学運動に終始する。昭和37年(1962)歿、79才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

あきた‐うじゃく【秋田雨雀】
[1883~1962]劇作家・児童文学者。青森の生まれ。本名、徳三。島村抱月門下。のちプロレタリア芸術運動に参加。戯曲埋れた春」「国境の夜」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

秋田雨雀 あきた-うじゃく
1883-1962 明治-昭和時代の劇作家,児童文学作家。
明治16年1月30日生まれ。43年戯曲「第一の暁」を発表。島村抱月(ほうげつ)の芸術座に参加。のち社会主義運動にすすみ,「太陽と花園」などの童話もかく。昭和9年新協劇団結成に参画。戦後は舞台芸術学院長。昭和37年5月12日死去。79歳。青森県出身。早大卒。本名は徳三。戯曲集に「埋(うずも)れた春」など。
【格言など】太陽はもと女性(をみな)なりしと人のいふに日の本の女性のなどかく暗き

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

あきたうじゃく【秋田雨雀】
1883‐1962(明治16‐昭和37)
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラント,インド哲学に打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

あきたうじゃく【秋田雨雀】
1883~1962) 劇作家・童話作家。青森県生まれ。本名、徳三。早大卒。演劇を中心に、社会主義的文化運動に幅広く活躍。戯曲「埋れた春」「国境の夜」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

秋田雨雀
あきたうじゃく
[生]1883.1.31. 青森,黒石
[没]1962.5.12. 東京
劇作家,小説家,児童文学者。本名,徳三。 1907年早稲田大学英文科卒業。初め小説を書いたが,09年から劇作家に転じて,沢田正二郎らの美術劇場で上演した『埋 (うずも) れた春』 (1913) で脚光を浴びた。また『東の子供へ』 (21) ,『太陽と花園』 (21) など数多くの童話を発表。のちプロレタリア文化運動に転じ,長老としての尊敬を集め,舞台芸術学院院長,日本児童文学者協会会長などをつとめた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

秋田雨雀
あきたうじゃく
(1883―1962)
劇作家、童話作家。明治16年1月30日青森県黒石町に生まれる。本名徳三。早稲田(わせだ)大学英文科卒業。浪漫的傾向の戯曲『第一の暁』(1911・自由劇場初演)、『埋(うずも)れた春』(1912)で劇作家として認められた。1913年(大正2)島村抱月(ほうげつ)主宰の芸術座に幹事として参加、のち脚本部員となる。父の入獄、次女の病死などで一時神秘思想にとらわれたが、やがて現実を凝視する姿勢をとり、戯曲『土地』三部曲(1917~1918)で自然主義的傾向を深め、さらに人道主義から社会主義思想に移って戯曲『国境の夜』(1920)、『手投弾(てなげだま)』(1923)、『骸骨(がいこつ)の舞跳(ぶちょう)』(1924)などの佳作を発表。『太陽と花園』(1920)などの童話も書いた。1923年先駆座を興してプロレタリア演劇運動を進め、1927年(昭和2)訪ソ後はプロレタリア科学研究所長となった。1934年新協劇団結成に尽力し、第二次世界大戦後、舞台芸術学院長、日本児童文学者協会長を務め、劇壇、文壇の長老として尊敬を集めた。昭和37年5月12日没。[藤木宏幸]
『『雨雀自伝』(1953・新評論社) ▽『秋田雨雀戯曲集』(1975・弘前雨雀会) ▽藤田龍雄著『秋田雨雀研究』(1972・津軽書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

あきた‐うじゃく【秋田雨雀】
劇作家、童話作家。島村抱月に師事して演劇革新運動に参加。のち、社会主義思想に傾いてプロレタリア演劇運動を行なった。戯曲「埋れた春」「国境の夜」など。明治一六~昭和三七年(一八八三‐一九六二

出典:精選版 日本国語大辞典
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