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稲村三伯【いなむらさんぱく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

稲村三伯
いなむらさんぱく
[生]宝暦9(1759).鳥取
[没]文化8(1811).1.18. 京都
江戸時代後期の医師。名は箭。『蘭学階梯』を読んで志を立て,江戸の大槻玄沢に学び,蘭日対訳の辞書『波留麻和解 (はるまわげ) 』をつくった。ゆえあって千葉に隠棲,海上郡を放浪したことから海上随鴎 (うながみずいおう) と名を改めた。晩年は京都で蘭学を講じた。京坂の蘭学の発展は彼に負うところが大きい。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

いなむら‐さんぱく【稲村三伯】
[1758~1811]江戸後期蘭学者。鳥取藩医。因幡(いなば)の人。大槻玄沢(おおつきげんたく)に師事し、蘭日対訳辞書波留麻和解(ハルマわげ)」(江戸ハルマ)を編纂(へんさん)。のち、海上随鴎(うながみずいおう)と改名

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

稲村三伯 いなむら-さんぱく
1758-1811 江戸時代中期-後期の蘭学者,蘭医。
宝暦8年生まれ。因幡(いなば)鳥取藩医。江戸の大槻玄沢(おおつき-げんたく)にまなぶ。石井庄助,宇田川玄真らの協力で,ハルマの蘭仏辞典を基に寛政8年(1796)日本最初の蘭和辞典「ハルマ和解(わげ)」を完成させる。のち京都で蘭学をおしえた。文化8年1月16日死去。54歳。本姓は松井。名は箭。字(あざな)は白羽。後名は海上随鴎(うながみ-ずいおう)。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

いなむらさんぱく【稲村三伯】
1758‐1811(宝暦8‐文化8)
江戸後期の蘭学者。鳥取藩医稲村三杏の養子(実父は町医松井如水)。名は箭,字は白羽,三伯は号。江戸に出て大槻玄沢に学び,日本最初の蘭和辞典の編述を志し,ハルマの蘭仏辞典を基として,1796年(寛政8)《ハルマ和解(わげ)》(江戸ハルマ)を完成した。のち下総国海上郡に隠棲し,海上随鷗(うながみずいおう)と改名。1805年以降は京都で蘭学を教授,門人に藤林普山,小森桃塢(とうう)らが輩出した。【有坂 隆道】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いなむらさんぱく【稲村三伯】
1758~1811 江戸後期の蘭学者。鳥取藩医。名は箭、字あざなは白羽。大槻玄沢に学び、蘭日対訳の辞書「波留麻和解ハルマわげ」(「江戸ハルマ」)を編集。のち、海上随鷗うながみずいおうと改名。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

稲村三伯
いなむらさんぱく
(1758―1811)
江戸後期の蘭学者(らんがくしゃ)。日本最初の蘭和辞典の編纂(へんさん)者。名は箭(せん)、号は白羽(はくう)。三伯は通称。鳥取藩医。脱藩して江戸に出て大槻玄沢(おおつきげんたく)について蘭学を学んだ。当時、蘭和辞典のないのを遺憾として辞典編纂を志し、ハルマFranois Halma(1653―1722)の蘭仏辞典により、オランダ通詞(つうじ)出身で白河藩主松平定信(まつだいらさだのぶ)に仕える石井恒右衛門(石井庄助とも。旧名、馬田清吉(ばたせいきち)。1743―?)の翻訳、協力を得て、『波留麻和解(ハルマわげ)』を編纂、成就した。1796年(寛政8)8万余語の原語を木活字で30部印刷し、訳語を書き入れた。のち一時、下総(しもうさ)国(千葉県)海上郡(現、旭(あさひ)市)に隠棲(いんせい)、海上随鴎(うながみずいおう)と称したが、晩年京都に出て蘭学を教授した。門下の藤林普山(ふじばやしふざん)(1781―1836)は、『波留麻和解』が大冊で少部数である不便を軽減すべく、簡明な『訳鍵(やっけん)』を作成した。『波留麻和解』は、のちオランダ商館長ドゥーフが長崎のオランダ通詞を督励して編纂した蘭和辞典を『長崎ハルマ』というのに対して『江戸ハルマ』ともよばれる。文化8年1月16日没。京都東山の大恩寺に葬られた。[片桐一男]

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精選版 日本国語大辞典

いなむら‐さんぱく【稲村三伯】
江戸後期の蘭学者。鳥取藩医。名は箭。字は白羽、三伯。海上随鴎(うながみずいおう)とも称した。大槻玄沢に師事し、石井庄助らとともに蘭日対訳の辞書「波留麻和解(江戸ハルマ)」を翻訳、刊行。宝暦八~文化八年(一七五八‐一八一一

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

稲村三伯
いなむらさんぱく
1758〜1811
江戸中期の蘭学者
鳥取藩医。大槻玄沢の『蘭学階梯』を読んで志を立て,入門。オランダ人ハルマの『蘭仏辞書』8万語を,宇田川玄真とともに訳出し,わが国最初の蘭和辞書『ハルマ和解』として1796年刊行。のち下総(千葉県)に隠退,晩年は京都で蘭学を教授した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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