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穂積八束【ほづみやつか】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

穂積八束
ほづみやつか
[生]安政7(1860).2.25. 宇和島
[没]1912.10.5. 神奈川,鎌倉
憲法学者。穂積陳重。 1883年東京大学を卒業,井上毅の推薦で翌 1884年よりドイツに留学し,パウル・ラーバントに国法学を学んだ。 1888年帰国しただちに東大教授に任じられた。その後,貴族院議員宮中顧問官歴任天皇絶対主義を唱え,フランス人学者ギュスターブ・エミール・ボアソナードが起草した旧民法を批判した論文民法出デテ忠孝亡ブ」 (1891,『法学新報』第5号) で梅謙次郎論争 (→民法典論争 ) ,旧民法の施行を阻止した。主著『憲法大意』 (1896) ,『憲法提要』 (1910) 。

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デジタル大辞泉

ほづみ‐やつか【穂積八束】
[1860~1912]法学者。愛媛の生まれ。陳重(のぶしげ)の弟。東大教授。君権絶対主義の立場から民法の実施に反対。また、美濃部達吉天皇機関説攻撃「憲法大意」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

穂積八束 ほづみ-やつか
1860-1912 明治時代の法学者。
安政7年2月28日生まれ。穂積陳重(のぶしげ)の弟。明治22年帝国大学教授となり憲法学を担当。君権絶対主義にたち,民法典論争では実施延期派の中心として,24年論文「民法出デテ忠孝亡(ほろ)ブ」(「法学新報」)を発表した。のち貴族院議員,宮中顧問官。大正元年10月5日死去。53歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。東京大学卒。著作に「憲法提要」「憲法大意」など。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ほづみやつか【穂積八束】
1860‐1912(万延1‐大正1)
憲法学者。穂積陳重の弟として,宇和島藩士の家に生まれた。井上毅などに嘱望され,1883年東大卒業の翌年憲法学研究のためにドイツに留学,ラーバントに師事。89年2月,帰国早々東大教授に任命され,以後貴族院勅選議員,宮中顧問官などを兼ねた。その学説は天皇主権の絶対性を説く憲法理論,主権の所在を国体とし,主権発現の態様を政体として,日本を君主国体立憲政体であるとする日本国家論,また,天皇は民族家長であるとする家族国家論などからなり,中等学校教科書の執筆者として,その説は国民教育上の正統学説となった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

穂積八束
ほづみやつか
(1860―1912)

わが国で近代を代表する法学者。法学者で枢密院議長を務めた穂積陳重(のぶしげ)の弟で、四国宇和島藩の国学者の家に生まれる。藩校明倫館に学び、上京して1883年(明治16)東京大学法学部を卒業し、その翌年からドイツに留学してシュルツェ、ラーバント教授らの教えを受けた。帰国後、1889年に帝国大学教授となり、憲法学の講座を担当したが、ドイツ留学中にラーバントから受けた君主絶対主義の立場にたつ憲法論を唱え、台頭しつつあった民権学派の憲法理論に対して強硬な反対論を展開した。旧民法の施行にあたっては「民法出デテ忠孝亡(ほろ)ブ」という論文を発表(1891)して、施行延期派の旗手となり、民法に家長権尊重を盛り込ませることに大きな役割を果たした。その間、貴族院議員、宮中顧問官などの重職を歴任した。主著『憲法提要』上下(1910)。

[池田政章]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ほづみ‐やつか【穂積八束】
法学者。愛媛県出身。陳重の弟。東大教授。東大で憲法講座を担当。天皇制擁護論を主張。フランス流旧民法施行に反対し、美濃部達吉の天皇機関説を攻撃した。著書「憲法大意」。万延元~大正元年(一八六〇‐一九一二

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

穂積八束
ほづみやつか
1860〜1912
明治時代の憲法学者
陳重 (のぶしげ) の弟。伊予(愛媛県)の生まれ。東大教授・貴族院議員を歴任。旧民法の公布をめぐって賛否両論(民法典論争)がおこったとき,「民法出デテ忠孝亡ブ」という論文を発表し,反対論の立役者となった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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