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竹島(島根県)【たけしま】

日本大百科全書(ニッポニカ)

竹島(島根県)
たけしま

日本海上、島根県の隠岐(おき)諸島の北西約85海里(約160キロメートル)にあり、韓国の鬱陵(うつりょう)島にも近い、小さな東西二つの岩島と、これに付随する数十の岩礁からなり、人の常住には適さない島。全島面積0.23平方キロメートル。英語ではLiancourt Rocks(リアンクール岩礁)という。韓国はこの島を独島(どくとう)とよび、1954年(昭和29)以来灯台、無線施設、国標等を設置するとともに警備隊を常駐させ、実力をもって占拠しているが、日本はこれを不法占拠として抗議を繰り返しており、同島の帰属をめぐって、とくに排他的経済水域設定のうえで、両国の間に紛争が続いている。日韓の国際紛争発端となったのは、1952年1月に韓国の李承晩(りしょうばん)大統領が海洋主権宣言を行い、いわゆる李承晩ラインを設け、そのなかに竹島を取り込んだことによる。日韓両国はそれぞれ、歴史的にみても国際法の観点からも、竹島が自国の固有の領土であると主張している。まず韓国は古い記録に基づいて、新羅(しらぎ)時代から鬱陵島の付属島嶼(とうしょ)として竹島を領有してきたと主張する。日本はその記録の引用に疑問を呈するとともに、17世紀に日本が80年間鬱陵島を経営したとき以来、竹島は日本に属すると反論している。また1905年(明治38)1月28日に閣議決定により竹島を領土編入するとともに、島根県告示をもって竹島を同県隠岐島司の所管と定めたことにより、日本は国際法上の領土取得の要件を満たしたと主張するのに対し、韓国は同国領土である竹島に関するそのような措置は無効であると反論している。日本は1945年(昭和20)まで実地調査や官有地としての土地台帳への記載など竹島を実効的に支配した。そして、1952年の対日平和条約で朝鮮の独立を承認したが、竹島は日本が放棄した地域のなかには含まれなかった。1965年の日韓交換公文は、外交上の経路を通じて解決されなかった紛争を、調停によって解決を図ると定めた。しかし、韓国は竹島問題が交換公文にいう紛争ではないと主張しているので、調停付託の見通しはたっていない。

 なお、竹島という名の島は愛知県や鹿児島県などに数多く存在する。

[太寿堂鼎・広部和也]

『川上健三著『竹島の領有』(1953・外務省条約局)』『川上健三著『竹島の歴史地理学的研究』(1966・古今書院)』『上地龍典著『尖閣列島と竹島』(1978・教育社)』『『竹島考證』『竹島関係文書集成』(1996・エムティ出版)』『田村清三郎著『島根県竹島の新研究』(1996・島根県総務部総務課)』『慎ヨン廈著、韓誠訳『史的解明独立(竹島)』(1997・インター出版)』『大西俊輝著『日本海と竹島――日韓領土問題』(2003・東洋出版)』『金学俊著、Hosaka Yuji訳『独立/竹島韓国の論理』(2004・論創社)』『下條正男著『竹島は日韓どちらのものか』(文春新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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