●箕作阮甫【みつくりげんぽ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
箕作阮甫
みつくりげんぽ
[没]文久3(1863).6.17. 江戸
江戸時代末期の蘭方医,蘭学者。津山藩主の侍医,箕作文庵の次男。京都に出て漢方医術を修め,郷里に帰って開業,藩主の侍医となる。次いで藩主に従って江戸に行き,同藩の蘭方医,宇田川榛斎について医学,蘭学を学んだ。天保 10 (1839) 年幕府の天文台である司天台の訳員 (翻訳方) となる。嘉永年間 (48~54) ,長崎と下田で筒井肥前守政憲,川路左衛門尉聖謨がロシアと条約交渉にあたるのを助けた。安政3 (56) 年蕃書調所の教授に命じられ,洋書調所と改称後も教授となり,幕臣に取立てられた。
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デジタル大辞泉
みつくり‐げんぽ【箕作阮甫】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
箕作阮甫 みつくり-げんぽ
寛政11年9月7日生まれ。美作(みまさか)(岡山県)津山藩医。儒学を古賀侗庵(どうあん)に,蘭学,蘭方を宇田川玄真にまなんだ。天保(てんぽう)10年幕府天文台の訳員,のち蕃書(ばんしょ)調所教授となる。医書のほか多分野の訳書がある。文久3年6月17日死去。65歳。名は虔儒(けんじゅ)。字(あざな)は庠西(しょうせい)。号は紫川。著訳書に「泰西名医彙講(いこう)」「八紘(はっこう)通誌」など。
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世界大百科事典 第2版
みつくりげんぽ【箕作阮甫】
幕末の蘭学者。名は虔儒(けんじゆ),字は庠西(しようせい),号は阮甫のほか紫川,逢谷。津山藩医箕作貞固(丈庵)の子。1815年(文化12)京都で吉益文輔に漢方医学を学び,22年(文政5)津山藩医となる。翌年,藩主に随行して江戸に出て,儒学を古賀侗庵に,蘭学を宇田川榛斎に学ぶ。39年(天保10)幕府天文方蛮書和解御用となり,翻訳にあたる。ロシア,アメリカの外交使節と応接。56年(安政3)蕃書調所設立に関し,初代教授となる。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
箕作阮甫
みつくりげんぽ
(1799―1863)
幕末の代表的洋学者。名は虔儒(けんじゅ)、字(あざな)は紫川(しせん)で、阮甫は通称。寛政(かんせい)11年9月7日(新暦10月5日)、津山藩医箕作貞固(1759―1802)の三男として生まれる。初め漢方を学んだが、江戸に出て宇田川榛斎(しんさい)(玄真)につき蘭学(らんがく)を学んだ。1839年(天保10)には幕府の天文台の蕃書和解(ばんしょわげ)御用手伝にあげられ、1855年2月(安政元年12月)の日露和親条約などの外交交渉にも携わった。同年新設の蕃書調所出役教授職に任ぜられ、1863年2月(文久2年12月)には幕臣にあげられたが、同年8月1日(文久3年6月17日)に死去した。1858年(安政5)開設の種痘所(東京大学医学部の最前身)の設立発起人にもなった。医学中心であった蘭学は、阮甫の段階で、自然科学、人文科学を包括する洋学に発展した。阮甫の3人の娘はいずれも蘭方医、洋学者と結婚し、その孫、曽孫(そうそん)には、箕作麟祥(りんしょう)、菊池大麓(だいろく)、箕作佳吉、元八、呉秀三(くれしゅうぞう)、坪井誠太郎ら各分野における日本の代表的学者が輩出した。
[岡田靖雄]
『呉秀三著『箕作阮甫』復刻版(1971・思文閣)』▽『蘭学資料研究会編『箕作阮甫の研究』(1978・思文閣出版)』
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367日誕生日大事典
箕作阮甫 (みつくりげんぽ)
江戸時代末期の蘭学者
1863年没
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精選版 日本国語大辞典
みつくり‐げんぽ【箕作阮甫】
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旺文社日本史事典 三訂版
箕作阮甫
みつくりげんぽ
江戸後・末期の医師・洋学者
美作 (みまさか) (岡山県)津山の人。津山藩主の侍医。京都で医学を学び,のち江戸で宇田川玄真に蘭学を学んだ。幕府天文方の翻訳掛となり,蕃書調所の創設に際し,教授となった。外交交渉(日米和親条約)にも参加した。『外科必読』『産科簡明』をはじめ多数の著書がある。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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