●紀伝道【きでんどう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
紀伝道
きでんどう
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デジタル大辞泉
きでん‐どう〔‐ダウ〕【紀伝道】
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世界大百科事典 第2版
きでんどう【紀伝道】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
紀伝道
きでんどう
平安時代の大学寮の学科。紀伝、明経(みょうぎょう)、明法(みょうぼう)、算(さん)の四道の一つ。『史記』『漢書(かんじょ)』『文選(もんぜん)』などの史書、詩文などを教科内容とする。「令(りょう)」の規定では、明経道が根本であったが、728年(神亀5)に文章博士(もんじょうはかせ)が、730年(天平2)に文章生(しょう)が置かれ、紀伝道が盛んになった。808年(大同3)、文章博士と並んで、初めて紀伝博士が置かれ、紀伝道の学科名が成立した。学生のなかから、式部省の詩文を読む寮試によって擬(ぎ)文章生となる者が20人、さらに省試(文章生試)を受けて文章生(20人)となり、そのうち成績優秀なる者2人が文章得業生(とくごうしょう)となる。これは衣食を給せられる給費生であり、対策(方略試)と称する論文試験を受けて官位を給せられる。教官は文章博士。従(じゅ)五位下の官である。834年(承和1)には紀伝博士を廃し、文章博士1人を増し定員2名となった。他道たとえば明経道では、明経博士、明経生からなる学科を明経道と称したのに対し、文章博士、文章生などからなる学科を紀伝道と称することとなった。紀伝道は、文章道と別個の道(学科)を形成するものではなく、文章道と同じ道で職掌任務も一部分担するものである。紀伝道の家としては、平安時代を通じて菅原(すがわら)、大江、藤原氏の南家、式家、北家日野流があり、5家が独占した。
[山中 裕]
『桃裕行著『上代学制の研究』復刊(1983・吉川弘文館)』
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精選版 日本国語大辞典
きでん‐どう ‥ダウ【紀伝道】
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旺文社日本史事典 三訂版
紀伝道
きでんどう
紀伝体で書かれた中国の『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』などに『文選』・詩文を加えた学科で,平安中期に確立した。官吏登用試験の重要科目とされたので盛んに行われた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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