●紂王【ちゅうおう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
紂王
ちゅうおう
Zhou-wang; Chou-wang
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ちゅうおう【紂王】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
紂王
ちゅうおう
生没年不詳。中国古代、殷(いん)王朝末代(第30代)の王。帝辛(しん)がその名で、『史記』には「天下にこれを紂と謂(い)う」とあるから、紂とは他称であろう。夏(か)代末王の桀(けつ)とともに、桀紂として悪徳の王の典例とされるが、各王朝最後の王は、後世、悪逆とされるのが常であり、実態は不明である。伝えるところでは、知力ともに優れていたが、酒、淫楽(いんがく)、婦人におぼれ、妲己(だっき)を愛してこの言に従った。酒池肉林、炮烙(ほうらく)の刑は、紂の行った悪事の象徴的なことばとされる。甲骨文の記すところによれば、紂のとき、東方(山東方面)に長期の遠征に赴いたおり、その虚をつかれて、西方で勢力を蓄えた周に滅ぼされたとする説もある。周の武王の大軍に敗れ、朝歌の鹿台(ろくだい)で、火中に身を投じて死んだ、とされる。没年については、紀元前1122年説、前1028年説のほか異説が多く不明であるが、ほぼ前11世紀後半(前1070~60年前後)のことであったろう。
[松丸道雄]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
紂王
ちゅうおう
殷 (いん) の最後の王
名は辛 (しん) 。種々の悪政を行って人望を失い,周の武王に牧野 (ぼくや) の戦いで敗れ,自殺したといわれる。夏王朝最後の桀 (けつ) 王とともに悪逆な王の代表とされ,聖天子の堯 (ぎよう) ・舜 (しゆん) と対比される。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ちゅう‐おう〔チウワウ〕【紂王】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ちゅう‐おう チウワウ【紂王】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「紂王」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●紂王の関連情報