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細川ガラシャ【ほそかわガラシャ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

細川ガラシャ
ほそかわガラシャ
[生]永禄6(1563)
[没]慶長5(1600).7.17. 大坂
安土桃山時代の武将明智光秀の次女,細川忠興の妻。本名は玉。諡号は秀光院。天正7 (1579) 年織田信長令によって結婚。忠隆,興秋,忠利の3子を生んだ。同 10年父光秀信長本能寺で殺害した際,忠興に離縁されたが,変後徳川家康のとりなしで復縁。同 15年高山右近の影響でキリスト教洗礼を受け,ガラシャの教名を得た。その篤信は有名。慶長5 (1600) 年の関ヶ原戦いに際して,石田三成らが豊臣氏恩顧の大名人質をとろうとして大坂城に入ることを強要したが従わず,屋敷を軍勢に包囲され命を絶った。

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デジタル大辞泉

ほそかわ‐ガラシャ〔ほそかは‐〕【細川ガラシャ】
[1563~1600]細川忠興の妻。明智光秀の娘。名は玉。ガラシャは洗礼名高山右近の影響でキリスト教に改宗関ヶ原の戦いに際し、石田三成に反抗して自殺

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

細川ガラシャ ほそかわ-ガラシャ
1563-1600 織豊時代のキリシタン。
永禄(えいろく)6年生まれ。明智(あけち)光秀の娘。細川忠興(ただおき)の妻。本能寺の変後,夫により丹後(京都府)味土野(みとの)に幽閉される。豊臣秀吉にゆるされ復縁。高山右近(うこん)らの影響で,天正(てんしょう)15年受洗。関ケ原の戦いに際し,石田三成方の人質要求を拒否し,慶長5年7月17日家老の手でみずからの命をたった。38歳。名は玉。ガラシャ(伽羅奢)は洗礼名。
【格言など】先立つはおなじ限りの命にもまさりて惜しき契(ちぎり)とぞしれ(辞世)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ほそかわガラシャ【細川ガラシャ】
1563‐1600(永禄6‐慶長5)
安土桃山時代の女性。本名たま。ガラシャ(伽羅奢)はキリスト教受洗名。諡号(しごう)は秀林院。明智光秀の次女。母は妻木勘解由左衛門範凞女。1578年(天正6)織田信長の命令で細川忠興に嫁す。82年父光秀が本能寺で信長を殺し,細川藤孝・忠興父子は光秀の誘いを退け,たまは丹後国味土野(みとの)に閉させられた。その後,豊臣秀吉の命により許され,夫のもとに戻った。87年,かねて高山右近がキリスト教の教義について語るのを忠興より聞いて関心をもち,忠興が島津征伐のための出陣中に屋敷を抜け出し,大坂の聖堂に行き伝道士の教示を聞いた。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

細川ガラシャ
ほそかわがらしゃ
(1563―1600)

細川忠興(ただおき)の夫人。キリシタン婦人としても著名。ガラシャは教名で、本名は「玉(たま)」。明智光秀(あけちみつひで)の娘で、織田信長のとりなしによって、細川藤孝(ふじたか)(幽斎(ゆうさい))の嫡男与一郎(よいちろう)忠興に嫁した。丹後(たんご)(京都府)の宮津で過ごす間、聡明(そうめい)な玉は禅宗について学ぶところがあったが、本能寺の変(1582)が起こり、反逆人の娘として丹後の味土野(みとの)に幽閉された。やがて大坂の細川邸に戻ることを許されたが、そこで夫の忠興からキリシタン宗門について間接的に教わるところがあり、心をひかれる。ついで1587年(天正15)、忠興が九州征伐に従軍のため不在の間に大坂の教会を訪れ、また侍女を通じて教理を学び続け、ガラシャの教名で侍女から受洗した。その後、邸内でキリシタンの信仰を深めたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにおいて夫忠興は徳川方についたので、ガラシャは豊臣(とよとみ)方より人質として大坂入城を強要され、大坂玉造(たまつくり)の細川邸において石田勢に囲まれる間、家臣の手で自らの命を絶った(7月16日)。

[松田毅一 2018年3月19日]

『ヘルマン・ホイヴェルス著『細川ガラシア夫人』(1966・春秋社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ほそかわ‐ガラシャ【細川ガラシャ】
(ガラシャはGracia) 安土桃山時代の女性。細川忠興の妻。明智光秀の娘。本名、玉。熱心なキリスト教徒で、ガラシャは洗礼名。忠興に嫁したが、光秀が本能寺で信長を殺害したため一時離婚。のち秀吉・家康のはからいで復縁した。関ケ原の戦いのとき人質として大坂城に入ることを拒み、石田三成に邸を囲まれ自刃した。永祿六~慶長五年(一五六三‐一六〇〇

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

細川ガラシャ
ほそかわガラシャ
1563〜1600
安土桃山時代の細川忠興の妻
明智光秀の娘。名はたま。本能寺の変後離縁したが,のち豊臣秀吉の命により復縁。熱心なキリシタン信徒で,ガラシャはその洗礼名。関ケ原の戦いに際し,石田三成が人質にしようとしたのを拒み自刃した。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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