●終末時計【しゅうまつどけい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
終末時計
しゅうまつどけい
doomsday clock
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知恵蔵
終末時計
「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は、原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」に参加した物理学者、ユージン・ラビノビッチらによって、1945年に設立された。終末時計は、米国と旧ソビエト連邦が冷戦状態にあった47年、残り7分で誕生した。米国が前年に水爆実験を行い、ソ連も核実験を実施した53年、残り2分と最も終末に近づいたが、両国の緊張関係が緩和するにつれて徐々に針が戻り、米英ソが部分的核実験禁止条約に調印した63年には、残り12分となった。その後も針は前進、後退を繰り返し、90年には冷戦の終結を受けて残り10分に、更に翌年、米ソが軍縮条約に調印すると残り17分まで戻った。この時が、最も終末から遠のいた時期となる。それからは、主な出来事を挙げると、インドやパキスタンの核実験(1998年、残り9分)や、北朝鮮・イランの核開発問題(2007年、残り5分)と進み、米バラク・オバマ大統領(当時)による核廃絶運動(2010年、残り6分)と戻ったが、その後は東日本大震災による福島原発事故の影響(2012年、残り5分)、ウクライナ危機(2015年、残り3分)と終末に近づいている。
終末時計自体は概念的なものだが、米イリノイ州のシカゴ大学にオブジェがある。
(南 文枝 ライター/2017年)
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
デジタル大辞泉
しゅうまつ‐どけい【終末時‐計】
[補説]零時に最も近いのは、地球温暖化と核戦争の懸念が強まる2020年の100秒前。最も遠ざかったのは、冷戦終結から2年後、ソ連解体の行われた1991年の17分前。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
終末時計
しゅうまつどけい
doomsday clock
人類の滅亡までの残り時間を象徴的に表す時計。核戦争や原子力利用の失敗などによる危機を警告する目的で、人類が滅亡する時間を午前0時とし、それまでの残り時間を「0時まで何分」という形で示す。世界終末時計ともいう。アメリカのシカゴ大学で、終末時計のオブジェが管理されている。アメリカの科学誌『The Bulletin of the Atomic Scientists(原子力科学者会報)』が、1947年に表紙に「残り時間7分」として終末時計を初めて発表した。以降、核問題による緊張だけでなく、地球環境問題なども時刻の決定に反映させて、残り時間を毎年公表している。
当初、残り時間7分から始まった終末時計は、アメリカとソビエト連邦による冷戦下の1953年には最短の残り2分になったが、両国が部分的核実験禁止条約を締結したことで、1963年には残り12分まで回復した。その後、冷戦が終結し、ソビエト連邦が崩壊すると、時計は残り時間17分まで戻った。しかし、インドとパキスタンの核兵器保有宣言やイランの核開発などといった問題が相次いで起きたため、アメリカ大統領オバマによる核廃絶方針の表明にもかかわらず、時計の針は2010年に残り6分まで進んだ。さらに、2012年1月には、世界に核兵器拡散の懸念が高まったうえに、福島第一原子力発電所事故の影響も加わって残り5分となり、2013年、2014年も残り5分のままである。
[編集部]
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