●結城合戦【ゆうきかっせん】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
結城合戦
ゆうきかっせん
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世界大百科事典 第2版
ゆうきがっせん【結城合戦】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
結城合戦
ゆうきかっせん
1440年(永享12)から翌年にかけて下総(しもうさ)の結城氏朝(うじとも)が永享(えいきょう)の乱(1438~39)で敗死した鎌倉公方(くぼう)足利持氏(あしかがもちうじ)の遺児を擁し幕府に抗した合戦。結城氏は直光(なおみつ)・基光(もとみつ)が安房(あわ)・下野(しもつけ)守護となって勢力を伸ばすにつれて、下野・常陸(ひたち)方面への進出を目ざす関東管領(かんれい)上杉氏との対立を深めていたが、永享の乱で上杉憲実(のりざね)が関東の実権を握るに及び、両者の抗争は不可避となった。40年氏朝は持氏の遺児安王(やすおう)丸、春王(はるおう)丸の2子を結城城(茨城県結城市)に迎えて挙兵、幕府は憲実、上杉清方(きよかた)らを氏朝追討に派遣した。小山(おやま)、宇都宮(うつのみや)氏など関東諸家も2派に分裂して約1年にわたる籠城(ろうじょう)戦が展開されたが、41年(嘉吉1)4月16日結城城は落城、氏朝父子は自殺、安王丸、春王丸も捕らえられ京都に送られる途中美濃(みの)で殺された。永享の乱の総括ともいうべきこの合戦は幕府方の勝利に終わり、上杉氏による関八州支配を現出させたが、関東諸家の反上杉闘争、およびその内部分裂・対立が繰り返され、東国の社会情勢の混乱が続いた。
[市村高男]
『『結城市史 第1、第4巻』(1977、80・結城市)』
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精選版 日本国語大辞典
ゆうき‐がっせん ゆふき‥【結城合戦】
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旺文社日本史事典 三訂版
結城合戦
ゆうきかっせん
氏朝は敗死し,遺子安王丸・春王丸は捕らえられ,京都へ送られる途中斬られた。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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