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絶海中津【ぜっかいちゅうしん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

絶海中津
ぜっかいちゅうしん
[生]延元1=建武3(1336).11.13. 土佐,津野
[没]応永12(1405).4.5. 京都
南北朝~室町時代初期の臨済宗の僧,詩人。字は要関,蕉堅道人。諱は中津。 13歳で天竜寺に入って夢窓疎石に侍し,のち竜山徳見,さらに義堂周信大喜法忻 (だいきほうきん) にも参じたが,正平 23=応安1 (1368) 年入,季潭宗ろく (きたんそうろく) に参じて絶海の号を受け,天授2 (76) 年帰国した。一時足利義満の意に逆らい摂津銭原に隠れたが,のち等持寺,相国寺に住し,僧録にもなった。義堂とともに五山文学双璧で,特に季潭の師笑隠大 訢 (しょういんだいきん) の蒲室疏法を伝えて五山文学における四六文流行の先駆をなした。語録のほか,詩文集『蕉堅稿』がある。死後仏智広照国師浄印翊聖国師の号を贈られた。

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デジタル大辞泉

ぜっかい‐ちゅうしん【絶海中津】
[1336~1405]室町前期の臨済宗土佐の人。別号、蕉堅道人夢窓疎石に学び、明に渡る。帰国後、足利義満に信任され、等持寺相国寺などの住持になる。義堂周信とともに五山文学の双璧といわれる。諡号(しごう)仏智広照国師・浄印翊聖国師。「語録」「蕉堅稿」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

絶海中津 ぜっかい-ちゅうしん
1336-1405 南北朝-室町時代の僧。
建武(けんむ)3=延元元年11月13日生まれ。臨済(りんざい)宗。夢窓疎石(むそう-そせき)の法をつぐ。明(みん)(中国)に留学。足利義満の帰依をうけ,等持寺,相国寺の住持となり,僧録をつとめる。義堂周信とならぶ五山文学者。応永12年4月5日死去。70歳。土佐(高知県)出身。俗姓は津野。道号ははじめ要関。号は蕉堅(しょうけん)道人。諡号(しごう)は仏智広照国師,浄印翊聖(じょういんいきしょう)国師。詩文集に「蕉堅藁(こう)」。

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世界大百科事典 第2版

ぜっかいちゅうしん【絶海中津】
1336‐1405(延元1∥建武3‐応永12)
南北朝後期の代表的な五山文学僧。はじめ字を要関,諱(いみな)を中津といい,みずから蕉堅道人と称した。土佐国津野の人。13歳のとき夢窓疎石に参じ,ついにその法をついだ。建仁寺の帰朝僧竜山徳見,ついで大林善育師事すること13年,さらに関東に学ぶこと数年に及んだ。ついで1368年(正平23∥応安1)明に渡り,中天竺寺の季潭宗泐(そうろく)のに参じて大恵派の大陸禅を学び,季潭から絶海の字を授けられて,76年(天授2∥永和2)に帰国した。

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大辞林 第三版

ぜっかいちゅうしん【絶海中津】
1336~1405 室町初期の臨済宗の僧。土佐の人。夢窓疎石に師事。1368年入明にゆうみん。帰国後足利義満に仕え、等持寺・相国寺などの住持を歴任。義堂周信とともに五山文学の二大権威。著書に漢詩文集「蕉堅稿しようけんこう」のほか、「絶海和尚語録」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

絶海中津
ぜっかいちゅうしん
(1336―1405)
室町初期の臨済(りんざい)宗夢窓(むそう)派の僧。五山学芸の代表的存在。蕉堅(しょうけん)道人と称する。土佐の人。初め天竜寺に入り、夢窓疎石(むそうそせき)に参じたが、のち建仁(けんにん)寺の竜山徳見(りゅうざんとくけん)(1284―1358)に従い、古林清茂(くりんせいむ)(1262―1329)の金剛幢下(こんごうとうか)の禅風を学んだ。1368年(正平23・応安1)入明(にゅうみん)し、季潭宗(きたんそうろく)(1318―1390)に参じ、絶海の号を受けた。明の太祖(朱元璋(しゅげんしょう))の問法に答えたことは有名である。1376年(天授2・永和2)帰国後、等持(とうじ)寺、相国(しょうこく)寺、南禅(なんぜん)寺に歴住し、鹿苑僧録(ろくおんそうろく)にも任じられた。応永(おうえい)12年4月5日、70歳で示寂。仏智広照(ぶっちこうしょう)国師、のちに浄印翊聖(じょういんよくしょう)国師と勅諡(ちょくし)された。
 義堂周信(ぎどうしゅうしん)と並んで五山学芸の双璧(そうへき)といわれ、五山文学の基礎をつくった。季潭の師、笑隠大(しょういんだいきん)(1284―1344)の『蒲室(ほしつ)集』の影響を受け、日本の四六文(しろくぶん)流行の先駆をなした。語録(1巻)のほか、詩集『蕉堅藁(しょうけんこう)』(2巻)がある。門下から鄂隠(がくいん)(1366―1425)、西胤(せいいん)(1358―1422)、用剛(ようごう)(1374―1446)などの逸材が出た。[藤岡大拙]

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367日誕生日大事典

絶海中津 (ぜっかいちゅうしん)
生年月日:1336年11月13日
南北朝時代;室町時代の臨済宗の僧;五山文学僧
1405年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

ぜっかい‐ちゅうしん【絶海中津】
室町初期の臨済宗の僧。別号、蕉堅道人。勅諡、仏智広照国師、浄印翊聖国師。土佐の人。夢窓疎石の法を嗣ぎ、のち明(中国)に渡って修行を重ね、宮中に法を説き、また、明の文人・詩人と交わって名を高めた。帰国後、足利義満の尊信を得て相国寺などに住し、僧録司も兼ねた。義堂周信とともに五山文学の双璧といわれる。著に詩文集「蕉堅藁」、「絶海和尚語録」。延元元(建武三)~応永一二年(一三三六‐一四〇五

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旺文社日本史事典 三訂版

絶海中津
ぜっかいちゅうしん
1336〜1405
室町初期の臨済宗の僧
土佐(高知県)の人。13歳で天竜寺に入り,西芳寺の夢窓疎石に学ぶ。詩文にすぐれ,義堂周信とともに五山文学の双璧とされる。のち明に渡り帰朝後も細川頼之・足利義満らに信任された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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