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織田氏【おだうじ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

織田氏
おだうじ
姓は平氏。平清盛の孫資盛から出たとも,また藤原氏の出ともいう。代々越前国丹生郡織田荘に居住したが,室町時代中期,常昌のとき,尾張国に移り,尾張守護斯波氏に仕え,守護代となった。文正1 (1466) 年斯波氏が2派に分れて抗争すると,田氏も清洲,岩倉などに分れて抗争した。戦国時代になって,守護代清洲織田宗家の奉行の一人であった勝幡城主織田信秀が漸次勢力を伸張し,織田一族中最強となり,古渡城,末森城などを合せ,隣国の大名今川氏や斎藤氏と対立抗争するにいたった。その子信長は弘治1 (1555) 年清洲城に入り,永禄3 (60) 年今川義元桶狭間に討ち (→桶狭間の戦い ) ,同5年三河松平氏と同盟して尾張国を統一し,同 10年には美濃斎藤氏を滅ぼして岐阜城に入った。翌年,足利義昭を奉じて入洛し,元亀1 (70) 年姉川に浅井,朝倉の連合軍を破って (→姉川の戦い ) ,天正1 (73) 年にはこれらを滅ぼし,近江に移った。同4年伊勢に北畠氏を滅ぼし,同8年石山本願寺を下し,同 10年には武田氏を滅ぼし,中国征伐の軍を起して天下統一の実現を志向したが,同年5月京都本能寺で家臣明智光秀に襲われ,長子信忠とともに自殺した (→本能寺の変 ) 。信長の次男信雄 (のぶかつ) は徳川家康に従い,大和国宇陀郡その他で5万石に封じられた。その嫡子信良の系統はやがて羽前天童に,信雄の5男高長は,信良の子信昌を一時後見したが,のちこの系統は丹波相原2万石に,また信長の弟長益の系統は家康に仕え,大和芝村にそれぞれ封じられ,明治にいたって子爵。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

おだうじ【織田氏】
近世大名。ははじめ藤原で,のち平姓を称するようになった。古く越前国丹羽郡織田荘に拠り,織田を称するようになったと考えられる。越前守護斯波氏に仕え,斯波義重が尾張守護を兼ねると,織田常昌が尾張守護代となる。斯波氏の分裂抗争とともに,織田氏も春日井郡清須城に拠り下四郡を領する一家と,丹羽郡岩倉城において上四郡を領する一家とに分裂し互いに争う。天文年間(1532‐55)になると,清須織田家の三奉行の一人織田信秀がしだいに力を強め,主家をしのいで隣国にまで勢力をのばすようになる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

織田氏
おだうじ

越前国(えちぜんのくに)丹生(にゅう)郡織田荘(おだのしょう)(福井県丹生郡越前町)の荘官に始まり、室町~戦国時代に尾張国(おわりのくに)(愛知県)に勢力を張り、織田信長を生んだ一族。本姓は未詳。信長は平氏を称したが、これは天下統一のために源平交替思想を利用したもので(室町将軍足利(あしかが)氏は源氏)、根拠はない。織田氏は、室町時代に越前守護となった斯波(しば)氏の被官となり、斯波義重(よししげ)が尾張守護になると、応永(おうえい)年間(1394~1428)に常松が守護代として尾張に移った。応仁(おうにん)の乱(1467~77)での斯波氏の内部抗争を受けて、守護代織田家も二分し、一方が岩倉(いわくら)城(愛知県岩倉市)に拠(よ)り、他方が守護をいただいて清洲(きよす)城(愛知県清須(きよす)市)に拠って抗争を続けた。天文(てんぶん)年間(1532~55)になると、清洲織田家の奉行(ぶぎょう)の一人織田信秀(のぶひで)が台頭し、さらにその子信長は、斯波氏を追い、一族間の争いを勝ち抜いて、尾張一国の支配権を確立した。1560年(永禄3)の桶狭間(おけはざま)の戦いの勝利を契機に、信長は天下統一への道を歩み始めるが、1582年(天正10)の本能寺の変に倒れ、また嫡子信忠(のぶただ)も自殺し、志は中途で挫折(ざせつ)した。信長の嫡孫秀信(ひでのぶ)は岐阜城主となったが、関ヶ原の戦いで西軍方について改易された。しかし信長の弟長益(ながます)(有楽(うらく))と二男信雄(のぶかつ)の子孫は、江戸時代にも大名として続き、明治維新に至り、ともに子爵に叙された。

[池 享]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

織田氏
おだし
尾張(愛知県)の戦国大名
祖先は越前(福井県)織田庄の荘官で斯波 (しば) 氏に仕え,主家が尾張の守護となるとその守護代となった。1466年ごろ岩倉と清洲の2系に分かれて争ったが,清洲織田家の三奉行の一人信秀は智略にすぐれ,分裂した織田家を統一し,国の内外に勢力を示し,戦国大名に成長した。その子信長は今川義元を桶狭間 (おけはざま) に破り,足利義昭 (よしあき) を擁して上洛,38カ国を平定し,天下統一の歩を進めたが,本能寺の変に倒れた。嫡子信忠も二条城死し,以後急速に衰えた。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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