●義浄【ぎじょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
義浄
ぎじょう
Yi-jing
[没]開元1(713)
中国,唐の僧。法励や道宣による戒律に関する注解書を研究したが,玄奘がインドに旅したことを契機に,海路を経てインドに入り (671) ,25年ほど滞在し,特に戒律に関するサンスクリット仏典をたずさえて帰国し,翻訳を行なった。訳出されたもののなかには『根本説一切有部毘奈耶』『金光明最勝王経』など重要なものが含まれている。主著『大唐西域求法高僧伝』『南海寄帰内法伝』。特に後者は玄奘の『大唐西域記』と並んで,当時のインドを知るうえでの重要な文献である。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
ぎじょう〔ギジヤウ〕【義浄】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
ぎじょう【義浄 Yì jìng】
中国,唐代の律学僧。山東省歴城県の人。俗姓は張氏。幼時に出家し,法顕や玄奘の求法の壮挙を慕っていた。671年(咸亨2),広東から海路インドに向かい,20余年にわたって各地の仏跡を巡礼し,南海諸国を経由して帰国。それ以後,将来した梵本《金光明最勝王経》などの翻訳に没頭した。彼が著した《南海寄帰内法伝》《大唐西域求法高僧伝》は東西文化交渉史上の貴重な文献である。【礪波 護】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
義浄
ぎじょう
(635―713)
中国生まれの訳経僧。法顕(ほっけん)や玄奘(げんじょう)の入竺求法(にゅうじくぐほう)の偉業に倣い、37歳のとき海路によって南海諸国を巡りインドに向かった。彼の関心は仏教徒の戒律にあり、これらの諸国で戒律がどのように実践されているかを自分の目で確かめたいと願った。インドから新たに根本有部(うぶ)の戒律文献を中国にもたらし、それを漢訳して中国仏教界に紹介した功績は大きい。また自らの求法の見聞をまとめて『大唐南海寄帰内法伝(だいとうなんかいききないほうでん)』を著した。これは帰途に室利仏逝(しつりぶっせい)(スマトラ島)で書かれたものという。これには南海地方の仏教徒の具体的な生活が詳しく記され、当時の社会や風俗を知るうえで貴重な史料となっている。ほかに入竺求法僧の伝記をまとめて『大唐西域(さいいき)求法高僧伝』を著した。
[岡部和雄 2017年1月19日]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
ぎじょう ギジャウ【義浄】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
義浄
ぎじょう
インドに留学した唐代の仏僧
671年37歳のとき,広州から海路インドにおもむき,20余年滞在。多数の仏典を携え南海を経由して帰国,のち洛陽でこれを翻訳した。著書にシュリーヴィジャヤで記述した『南海寄帰内法伝』や『大唐西域求法高僧伝』などがある。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「義浄」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●義浄の関連情報
関連キーワード
| 2005年全国映画概況| ポスティングシステム| 新田ゼラチン| 景教| 高速道路の被害| イスラエル国| 李淵| エルベ渓谷| 景教|