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義真【ギシン】

デジタル大辞泉

ぎしん【義真】
[781~833]平安前期の天台宗延暦寺第1世座主(ざす)。相模の人。最澄師事し、随行して入唐。帰国後、延暦寺の建立に協力し、師の没後戒壇院設立修禅大師

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

義真 ぎしん
781-833 平安時代前期の僧。
天応元年生まれ。相模(さがみ)(神奈川県)の人。最澄に師事し,延暦(えんりゃく)23年通訳として(とう)(中国)にわたる。師の没後天台教団をひきい,弘仁(こうにん)13年大乗戒壇設立の勅許がおりると最初の伝戒師となる。天長元年天台宗の僧首(天台座主(ざす)のはじまり)。天長10年7月4日死去。53歳。俗姓丸子(丸部)。法号は修禅大師。集に「天台法華宗義集」。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

ぎしん【義真】

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ぎしん【義真】
781~833 平安前期の天台宗の僧。延暦寺第一世座主。相模の人。最澄に師事。入唐の際には通訳を務める。最澄の死後戒壇院設立の勅許を得て戒和上となった。修禅和尚。著「天台法華宗義集」ほか。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

義真
ぎしん
(781―833)
平安初期の天台宗の僧。俗姓は丸子連(まるこむらじ)。相模(さがみ)国(神奈川県)の人。初め興福寺に入って法相(ほっそう)宗を学び、のち最澄(さいちょう)に師事し、通訳としてともに入唐(にっとう)した。帰国後、つねに最澄を助け、823年(弘仁14)4月、伝戒師(でんかいし)となり、根本中堂(こんぽんちゅうどう)で円頓(えんどん)授戒を行い、824年(天長1)には延暦寺(えんりゃくじ)の伝法師(でんぽうし)となった。師の没後は一山を統率し、大乗戒壇の建立を果たした。著書『天台法華宗義集(ほっけしゅうぎしゅう)』1巻は、空海の『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』、護命(ごみょう)の『法相研神集(けんしんしゅう)』などとともに、天長(てんちょう)(824~834)の勅撰(ちょくせん)の一に数えられる。[池田魯參]

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精選版 日本国語大辞典

ぎしん【義真】
平安前期の天台宗の僧。延暦寺第一世座主。相模の人。最澄に師事し、随行して唐に渡る。帰朝後、延暦寺の建設に協力。大乗戒壇の戒和尚となり、嵯峨天皇の勅命によって「天台法華宗義集」を撰集した。修禅大師。天応元~天長一〇年(七八一‐八三三

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