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職人【しょくにん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

職人
しょくにん
journeyman
一般に,手工もしくはごく簡単な機械を操作して作業する熟練工をいう。中世のヨーロッパにおけるギルドでは,親方,職人および徒弟の3職階制が行われていた。徒弟の期間は2~7年と仕事によってかなり幅があったが,職人になると各地を回りながら腕を磨き,親方による製品の審査を経て親方になるというのが初期のギルドにおける通常のコースであった。しかし 15世紀頃から親方の世襲制がみられるようになり,職人は親方に対する下請け的性格をもつこととなった。こうした職人層が都市郊外などで手工業を行うようになり,のちの問屋制家内工業の基礎をつくることとなった。日本での職人制度は西欧におけるとほぼ同様に,封建領主の保護と統制を受けながら,座,仲間,株仲間などとして,徒弟数の制限や技術の伝授の制限などきびしい統制を行い,販売の独占権を有していた。徒弟は,一定の年季の奉公を終えて職人となるか,独立するにはさらに渡り職人として一定期間の経験,修業が必要であった。しかし,19世紀に入ると,問屋制家内工業などの発展により,仲間は解体し,賃金労働者化していった。近年,職人芸の重要性が再評価されているが,若者の就労者が少く,技術の伝承がむずかしくなっている職種分野も多い。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

しょく‐にん【職人】
自分の技能によって物を作ることを職業とする人。大工左官表具師など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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デジタル大辞泉プラス

職人
建築家、竹田米吉によるエッセイ。東京神田に生まれ若き日を大工職人として修行した著者が、明治の職人の世界、下町風情を活き活きと描く。1958年刊行。第7回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

しょくにん【職人】
一般に,自分の手先の技術により物を生産することを職業とする人をいい,その技術は,独自の徒弟制度により伝習されてきた。だが中世の日本では,在庁官人や芸能民なども広く職人と呼ばれていた。
【ヨーロッパの職人】
 ヨーロッパにおける職人の伝統は,ローマ時代の手工業者の組織であるコレギウムと初期中世の修道院宮廷における技術者養成機関にさかのぼる。ローマのコレギウムは,キリスト教受容とともに相互扶助を行う兄弟団的結合に変わっていったとみられる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

しょくにん【職人】
大工・左官・飾り職・植木屋などのように、身につけた技術によって物を作り出したりする職業の人。
転じて、その道の専門家。 あの選手は守備の-だ

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

職人
しょくにん
専門的な手工的技術と道具をもって顧客のために手工的生産をする手工業者。日本にこうした職人が誕生するまでには長い前史があった。原始社会では手工的技術と道具は、狩猟・漁労、さらに農耕と結び付いていて、共同体の成人層が共同体成員全体のために自給的な自由な生産をしていた。3世紀からの古代になって、技術保持者のある者は、貴族のために農閑期に手工的生産を強制される工人となった。技術はもつが道具はもたないという不自由な手工的生産者であった。
 平安時代末期の12世紀には、職人誕生の契機である賃仕事が成立した。一般に需要の高い分野に農民からの職業的分化がみられ、いくつかの職種ができた。技術・道具はもっているが原料は注文主から支給され、それに加工生産して手間賃を得るのである。中世の14世紀からは、代金仕事という、原料もある程度は確保して手工生産し、代金を得ることが始まった。職人の業態には大工・左官などの出職(でしょく)と指物師・縫物屋などの居職(いじょく)があったが、賃仕事は出職、代金仕事は居職に多かった。賃金は初めは出来高払いであったが、やがて時間払いとなっていった。労働時間は1日14時間であった。職人は、都市・村落とも、領主に従属して、その経営と生活が保証された。座(ざ)という組織もその一つである。技術伝承のための徒弟制的関係も、技術に対する意識も確立されてきた。職人は絶えず農民から分化していた。17世紀からは、職人は領主の拠点の城下町そのほかの都市に、仲間(なかま)という組織の保護と統制によって経営と生活を維持することになった。しかし、仲間は業種別の親方だけの利益独占を計るための横の組織で、徒弟制も職人の縦の組織として家業構(かまい)といった親方の恣意(しい)が許され、年季も無制限となっていた。平職人の横の組織への要望は強くなってきて、18世紀からは、仲間外れの新しい親方も含めた職人全体の結合も、職種によっては生まれていた。技術に対する自負と責任感という職業意識が職人気質(かたぎ)となってきた。18世紀までは、手工業生産が唯一の工業生産として、その役割は大きかったから、職人の立場も高いものであった。しかし、そのころから問屋制家内工業、19世紀からは工場制手工業といった、新しい量産を目標とする工業生産が村落にも発展してきて、職人の手工的生産の優位性は失われ、農民の手工的生産者としての役割が重くなってきた。
 19世紀後半から近代になって、さらに量産可能な機械制工場工業が発展してくるにつれて、多くの手工業生産部門は解体し、職人の手工的生産の分野は狭くなってきた。それに問屋制や請負制の展開の結果、農民はもちろん、職人もまた賃金労働者化してきて、職人による手工生産は、機械化できない限られた部門のこととなってしまった。職人は何度かの危機に直面することになった。近代では、工場労働者・職工・女工の労働運動が活発となったのに刺激されて、職人もまた労働者としての意識から組合組織をつくった業種もあったが、強いものではなく、それに一般には生産形態や徒弟制の近代化は進まなかった。
 現代は機械生産の大規模化と技術革新が進み、職人の手工業生産は生産性があまり高くないということから、材料の入手難、後継者の養成難といった問題を抱えている。伝統工芸には援助の手も伸びているが、一般の職人については対策が不十分である。職人を取り巻く情況は厳しいが、そのなかに横の組織をつくり、企業者としての主体性の確保に進む者もいる。[遠藤元男]

西洋

西洋の職人は11世紀の中世都市の成立とかかわりをもっている。むろん手仕事そのものは非常に早い時期からあり、鍛冶(かじ)、陶器作り、機(はた)織りなどの歴史は古い。都市の発展につれて、12世紀の初め、都市にいた手工業者たちは同業組合、ツンフトZunft(ドイツ語)、ギルドg(u)ildを組織した。彼らは徒弟、職人と修業を積んでいって親方になる。しかし中世初期の段階では、徒弟の修業期間の規定がなかった。修業強制の最初の記録は1304年、スイスのチューリヒの粉屋、帽子屋、皮なめし屋のツンフトにみられ、15世紀なかばになって一般化した。修業期間は4年までが多かった。親方はツンフトの承認がなければ徒弟を採用することもできない。その前に徒弟になりたい者は出自を問われた。中世にはまともな職業とまともでない職業という別があり、死刑執行人、墓掘り人、羊飼い、夜回り、皮はぎ屋、馬車ひき、日雇いその他、親の職業によって徒弟になる資格がない場合があった。4週間の試験に合格すると、親方のもとで3年修業し、ツンフトの試験を受け、職人の身分になれる。そのあと職人は2週間親方の家で休み、旅に出る。
 職人の旅を初めて規定したのは、ハンブルクの皮なめしのツンフトで(1375)、15世紀のなかばに一般に広がり、16世紀になるとどこでも遍歴が義務づけられた。昔話によく仕立屋や鍛冶屋などの職人が宿に泊まる場面が出てくるが、実際は気ままに泊まれるのでなく、職種によって定宿があった。そのうえ、泊まるときの特定の挨拶(あいさつ)まであった。その文句は親方が、出発する際に、他言しないように念押しをして教えた。宿では古参の職人が質問し、新参者がビールをおごった。こういうとき、旅の職人は身分証明書を携行していた。後の19世紀(1820)のものだが、オーストリアの皮はぎ職人の手帳には、氏名、職業、生地、年齢、体格、容貌(ようぼう)、額、目、鼻、口、あご、ひげ、髪、顔色、健康、その他の特徴という欄があり、1827年の手帳では身分、宗教、1854年のものでは眉(まゆ)、歯の欄まである。雇い主は、職人の誠実さ、身持ち、勤勉さ、技量について書き、雇い主の氏名、資格、住所、職人が仕事についた日、仕事の種類、仕事を離れた日を書き込む。1820年の手帳の職人はドイツ→チェコスロバキア→ドイツ→オーストリアのチロルと旅している。彼は1人の親方の家に2、3か月から半年いて、3年後に帰郷している。こういう遍歴コースは土地と職種によってそれぞれ決まっていた。ただし技術の秘密保持のため、職人を旅に出さないツンフトもあった。生活ぶりは、15世紀のオーストリアのバイトホーフェンの仕立屋の場合、仕事は冬期が朝5時から夜10時まで、夏期は朝4時からとなっている。人との交際にも厳しい制約があり、親方試験は8種類9着の服をつくることで試された。
 職人はツンフトの承認を得て親方の資格を得る。しかし、親方は自分の家と仕事場と市民権をもち、結婚していなければならなかったので、現実にはなかなか独立しにくかった。独立しても、若い親方は長年借金に苦しんだ。それで親方の息子でない者は妻の持参金をあてにしたり、親方の娘や親方の未亡人と結婚して親方になった。また、親方株が限られ、株が金で売買された。こうして親方になれない職人が年ごとに増え、職人は自分たちの組合をつくってツンフトと対立するようになった。14世紀に経済団体以上の強い政治力を発揮したツンフトも、16世紀には硬直し、親方夫妻と職人、徒弟との家族主義的関係も崩れてきた。この16世紀は、しかし女性でも仕事を覚えることができたが、17世紀末になると親方未亡人を除いて、女性は人員過剰を理由に締め出された。職人社会は外からは、18世紀にマニュファクチュアができて深刻な打撃を受け、19世紀の大規模な工業生産の出現によって追い打ちをかけられる。[飯豊道男]
『遠藤元男著『日本職人史』(1967・雄山閣出版) ▽伊藤栄著『西洋中世都市とギルドの研究』(1968・弘文堂新社) ▽高木健次郎著『ドイツの職人』(中公新書) ▽L・ブノワ著、加藤節子訳『フランス巡歴の職人たち』(白水社・文庫クセジュ) ▽阿部謹也著『中世の窓から』(1981・朝日新聞社) ▽阿部謹也著『中世を旅する人びと』(1978・平凡社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

しょく‐にん【職人】
〘名〙
① 中世において職能と結びついた職(しき)を保持していた人々の総称。
(イ) 在庁官人、下級荘官など。
※沙汰未練書(14C初)「名主、庄官、下司、公文、田所、惣追補使〈略〉以下職人等事、件所職等者、地頭・領家進止職也」
(ロ) 中世後期の番匠・鍛冶、魚売、饅頭売などの商工業者、琵琶法師・連歌師などの芸能民、陰陽師・巫女などの呪術者を含む職種の人々の総称(東北院職人歌合(1348頃か)・七十一番職人歌合(1500頃か))。
② 近世以降、伝統工芸や手工業的製造業の技能者、大工、左官、植木屋、仕立屋などのように、自分の身につけた技術で物を造ることを職業としている人々の総称。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※翁問答(1650)上「物作を農といひ、しょくにんを工と云、あき人を商と云」 〔魏書‐孫紹伝〕
③ 工場の現場従業員。職工。工員。
※西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉外「国中の人布帛製造の産業に利潤多きを見て一時に其本業を棄て先を争て之に赴き遂には職人の数多きに過き却て困窮したりと云ふ」

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