@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

胆沢城【いさわじょう】

日本の城がわかる事典

いさわじょう【胆沢城】
岩手県奥州市にあった平安時代の城柵。国指定史跡。802年(延暦21)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が当時、胆沢と呼ばれていたこの地に城柵を築いた。田村麻呂は東国10ヵ国の兵士4000人を率いて奥州に侵攻し、蝦夷の指導者のアテルイ(阿弖流爲、阿弖利爲)を下して陸奥支配の基礎をつくった。多賀城(宮城県多賀城市)にあった鎮守府(陸奥の軍政の拠点)が胆沢城に移され、1083年(永保3)の後三年の役のころまでの約150年間、陸奥支配の中心となった。発掘調査により、胆沢城は2重の堀と築地塀に囲まれた一辺が670m、面積約46万m2の広大な方形だったことが明らかになっている。その中心には縦横90mの鎮守府政庁が置かれていた。現在残されている遺構は、その一部である。JR東北本線水沢駅よりバスで約15分、八幡下車。

出典:講談社
(C)Kodansha.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

いさわ‐じょう〔いさはジヤウ〕【胆沢城】
岩手県奥州市にあった古代の城。延暦21年(802)蝦夷(えぞ)征討に際し、坂上田村麻呂築城。同23年、多賀城から鎮守府を移して東北経営の拠点とした。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

いさわじょう【胆沢城】
8世紀後半の宝亀・延暦年間にかけて,岩手県南半部の北上川流域すなわち〈胆沢の地〉を対象としたいわゆる蝦夷征討がくりかえされた。ようやく801年(延暦20)にいたって,初の征夷大将軍坂上田村麻呂が長年にわたる蝦夷の反乱を制圧したとされている。そして一応の安定をみた地に築造されたのが胆沢城であり志波城である。胆沢城は803年田村麻呂が造陸奥国胆沢城使に任命され築造にあたり,同年完成したものである。胆沢城跡岩手県水沢市佐倉河にあり,東に北上川,北に胆沢川が流れ,その合流点の南西に位置している。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

胆沢城
いさわじょう

平安時代前期の蝦夷(えぞ)経営の基地。鎮守府城。所在は岩手県奥州(おうしゅう)市水沢(みずさわ)区佐倉河(さくらかわ)の地と考えられている。古代国家の胆沢経営は奈良時代末期から始まって、すでに四半世紀を閲(けみ)していた。801年(延暦20)の胆沢蝦夷との戦いに、最後の勝利を得た坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、翌802年、造胆沢城使として、現地に下向、造城に着手した。東海、東山からおよそ4000人の農民が柵戸(きのへ)(一種の屯田兵(とんでんへい))として、移配された。803年には、田村麻呂は造志波城(しわじょう)使に任ぜられ、胆沢城の北を守る第一線の城を、今日の盛岡市太田に築いているから、胆沢城は802年のうちには成ったであろう。同時に多賀(たが)城に置かれていた鎮守府がここに移転し、国府多賀城に次ぐ鎮城となり、鎮守将軍の治するところとなって、諸事国府に準じた。数次にわたる発掘調査により、遺構が明らかになり、最近は、築城の年を示す漆(うるし)紙文書が出土するなどしているが、府城の威容を示す遺構としては、十分でないところもある。

[高橋富雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

いざわ‐じょう いざはジャウ【胆沢城】
岩手県水沢市にあった古代の城柵。延暦二一年(八〇二)、蝦夷征伐の拠点として坂上田村麻呂が築き、ついで多賀城にあった鎮守府を移す。平安中期に機能を低下させたが、前九年の役頃まであったとされる。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

胆沢城
いさわじょう
平安初期,中央政府による東北経営の拠点となった城柵
801年坂上田村麻呂が蝦夷 (えみし) の本拠地胆沢を制圧し,翌年築城。802年鎮守府を多賀城から移し,陸奥北部支配のための政治・軍事上の拠点とされた。近年発掘調査の結果,約0.7㎞平方の土塁内に,正殿などいくつかの建物の存在が確認され,その規模が明らかにされた。現在の岩手県水沢市佐倉河宇佐にある。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

胆沢城」の用語解説はコトバンクが提供しています。

胆沢城の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation