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臥薪嘗胆【ガシンショウタン】

デジタル大辞泉

がしん‐しょうたん〔グワシンシヤウタン〕【×臥薪×嘗胆】
[名](スル)《「史記勾践世家にある故事から》復讐(ふくしゅう)を心に誓って辛苦すること。また、目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること。
[補説]中国の春秋時代夫差(ふさ)のかたきの越(えつおう)勾践(こうせん)を討とうとして、いつも(たきぎ)の上に寝て身を苦しめ、またその後夫差に敗れた勾践が、いつか会稽(かいけい)の恥をそそごうと苦い(きも)を(な)めて報復の志を忘れまいとしたという。

出典:小学館
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とっさの日本語便利帳

臥薪嘗胆
敗国の王が復讐の心を忘れないために、薪の上に寝、苦い胆(きも)を傍らに置いて嘗めたことから、目標を達成するために日々刻苦すること。

出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」

世界大百科事典 第2版

がしんしょうたん【臥薪嘗胆】
元来は中国の《史記》〈越世家〉などに見える〈復讐(ふくしゆう)するため艱難(かんなん)辛苦する〉ことを意味する成句であるが,日本史上では,日清戦争後ジャーナリズムを中心に流布したスローガンとして知られている。戦後国民は戦勝気分にひたっていたが,1895年5月10日,遼東半島還付の詔勅がだされ,三国干渉に日本が屈したことが明らかになると,〈勝って驕らざるのみならず,前後の事情を忖度(そんたく)するときは,所謂胆を嘗め薪に坐して大いに実力を培養するの必要あることは,此際国民一般の感ずる〉(《東京朝日新聞》同年5月15日,社説)などと主張され,〈臥薪嘗胆〉の声が国民の間にも広がった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

臥薪嘗胆
がしんしょうたん

薪(たきぎ)の上に臥(ふ)し、苦い胆(きも)を嘗(な)める意で、復讐(ふくしゅう)の志を忘れず、長い間艱難辛苦(かんなんしんく)すること、また将来の成功を期して、報われないままに長い間苦労することをいう。中国春秋時代、越(えつ)王勾践(こうせん)に敗れて死んだ呉(ご)王闔呂(こうりょ)の子夫差(ふさ)は、薪の上に寝て父の仇(あだ)を忘れぬように努力し、ついに会稽(かいけい)山に勾践を破って降参させた。勾践はのち許されて帰国したが、以来、つねに苦い胆を部屋に掛けておき、それを嘗めては自ら復讐心をあおり、とうとう夫差を滅ぼして「会稽の恥」を雪(すす)いだ、と伝える『史記』「越世家」の故事による。

[田所義行]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

がしん‐しょうたん グヮシンシャウタン【臥薪嘗胆】
〘名〙 (中国の春秋時代、越(えつ)との戦争で敗死した呉王闔閭(こうりょ)の子の夫差は、父の仇を忘れないために薪の中に臥して身を苦しめ、ついに越王の勾践(こうせん)を降伏させた。一方勾践はゆるされると、苦い胆を室にかけてそれをなめては敗戦の恨みを思い出して、ついに夫差を破ってその恨みを晴らしたという「十八史略‐春秋戦国・呉」にみえる故事から) 仇を報いたり、目的を成し遂げたりするために、艱難辛苦をすること。
※商業史歌(1901)〈田口卯吉〉三四「日清の役終へし後 連戦勝利の喜びと 遼東還付の怒りとは 一時に脳を刺撃して 臥薪嘗胆(グヮシンシャウタン)声高く 唯々感情に走りけり」
[語誌](1)勾践が胆をなめて恨みを忘れぬようにしたという「嘗胆」の故事は、「史記‐越世家」「呉越春秋」にみえる。「臥薪嘗胆」の語は、「蘇軾‐擬孫権答曹操書」の文中にあるものの、「臥薪」の故事についての「十八史略」以前の典拠は不明。
(2)日本では、日清戦争後に遼東半島の領有をめぐって「三国干渉」が行なわれた際、世論の合い言葉として流行した。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

臥薪嘗胆
がしんしょうたん
中国の故事に基づく語で,目的を達成するため艱難辛苦にたえしのぶこと
春秋時代,呉王の夫差 (ふさ) が薪の上に寝てその苦しさから心を励まして父の越王を討ち,越王勾践 (こうせん) が胆 (きも) をなめてその苦さから闘志をもやし夫差を滅ぼしたという故事による。日清戦争のあと,三国干渉に屈した日本政府は,これを合言葉として国民のロシアに対する敵愾心をあおった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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四字熟語を知る辞典

臥薪嘗胆
仇を報いたり、目的を成し遂げたりするために、かんなんしんをすること。

[使用例] 仇討ちはすべからく正々堂々たるべきである。〈略〉かなわぬまでも、天誅! と一声叫んで真正面からおどりかかって行くべきである。あまりにも腕前の差がひどかったならば、その時には臥薪嘗胆、鞍馬山にでもはいって一心に剣術の修行をする事だ[太宰治*お伽草紙|1945]

[使用例] 戦争はもうこのへんでやめたがいいと言った某氏に対して父は、十年臥薪嘗胆のこの戦争だ。旅順などはまだ序の口。こんなところでやめればまだ何度も同じ戦争のやり直しだ。この勢いで奉天までもハルピンまでもだ。ここでは断じてやめられない、と父は某氏と争ったと言う[佐藤春夫*わんぱく時代|1958]

[解説] 中国の春秋時代、越との戦いに敗れた呉では、王のが、復讐心を忘れないよう、堅いたきぎの上に寝ていました(「臥薪」)。その後、今度は越が呉に敗れ、越王のこうせんは、恥を忘れないよう、苦い熊の肝をなめていました(「嘗胆」)。結局、越は呉を討ち果たします。
 古い話ですが、この「臥薪」「嘗胆」が並んで文献に現れるのは、かなり後のこと。宋の時代になってからです。
 日本では明治時代に広まりました。日清戦争で得た領土を、ロシアなどの三国干渉で返還した時、「復讐の日まで我慢しよう」という意味で、「臥薪嘗胆」のスローガンが叫ばれました。
 例文の[わんぱく時代]では、日露戦争のことを「十年臥薪嘗胆の戦争」と表現しています。つまり、ロシアに対する復讐の戦争だということです。
 古いことばとは言え、日本では明治時代以降の「新顔」なので、時代劇では使わないのが無難。これは、時代考証専門家の大森洋平さんの意見です。

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