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自己【ジコ】

デジタル大辞泉

じ‐こ【自己】
おのれ。自分。自身。「自己を欺く」
哲学で、同一性を保持して存在するあるものそれ自身。人格的存在以外にも用いられる。⇔他者

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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世界大百科事典 第2版

じこ【自己 self】
学者によって定義が異なるが,一般には個人が自分自身を客体としてとらえたのが自己であり,そのときの主体となる方を自我egoであると定義されている。自己は人が主観的に把握した自分自身であるが,そのとき自分のこうありたいという願望によるものを理想自己と呼び,現実自己と区別したりする。この両者の差が大であるとき,神経症が発生すると考える。自己に対して特別な定義を与えているのが,ユングである。ユングは自我が意識の中心であるのに対して,自己は意識も無意識も含めた心全体の中心であると考えた。

出典:株式会社平凡社
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精選版 日本国語大辞典

じ‐こ【自己】
〘名〙 おのれ。われ。自分。自身。
※家伝(760頃)上「名誉曰弘、寵幸近臣宗我鞍作、威福自己」
※正法眼蔵(1231‐53)現成公案「仏道をならふといふは、自己をならふなり」
※第三者(1903)〈国木田独歩〉七「故に女ほどよく自己(ジコ)を欺くものはない」 〔六祖檀経‐行由篇〕

出典:精選版 日本国語大辞典
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最新 心理学事典

じこ
自己
self(英),soi(仏),Selbst(独)
自己とは,同一性を保持して存在するその人間自身を指す。自己については自我egoとの定義の問題が絡むが,一般的に自らについての内的表象を指すには自己,心の統合機能を指すには自我が用いられることが多い。

【心理学における自己の研究の困難と可能性】 心理学が人間の心の働きを対象とする学問であるからには,心の働きにおいて中心的な役割を果たす自己の成り立ちや機能の解明は,重要な課題の一つといえる。心理学の草創期にあたる19世紀末にジェームズJames,W.が著わした『心理学原理The Principles of Psychology』(1890)では,自己というテーマに独立した一つの章が充てられている。ところが,20世紀に入り心理学を哲学や宗教学とは異なる実証科学として確立しようとの動きの中で,客観的なデータを引き出すことの困難な自己というテーマは,科学としての心理学研究の表舞台から姿を消していった。そのことに疑問を呈したのが,パーソナリティ心理学を初めて体系化したとされるオルポートAllport,G.W.である。オルポート(1943)は,心理学研究の歴史の中で最も奇妙な出来事の一つは,自己というテーマがいつのまにか脇に追いやられ,そのうちに消えてしまったことであると指摘している。

 自己の心理学的研究が困難とされる理由は,研究主体と研究対象が明確に分離されないところにある。このような自己の二重性について論じているジェームズ(1892)は,自己は知者であると同時に被知者であり,主体であると同時に客体であるとし,自己を「知る主体としての自己(I)」と「知られる客体としての自己(me)」の二つの側面に分けている。それ以来,心理学の世界では,自己を主体としての自己と客体としての自己に分けることが,当然のように受け入れられてきた。だが,早くもサービンSarbin,T.R.(1952)が20世紀半ばに指摘したように,主体としての自己と客体としての自己は,明確に仕切れるとはいいがたい。一例を挙げれば,客体としての自己の体系である自己概念self-conceptは,単に知られる客体であるに止まらず,知る主体としての自己の動きに影響を与えるといった側面をもつ。つまり,自己概念は,単に本人によってとらえられた客体としての地位に止まることなく,絶えず主体としての自己に反作用を及ぼし,行動の強力な規定因として機能する。そこに自己の心理学的研究が困難とされる理由があるのだが,それは同時に客体としての自己の研究から主体としての自己の動きに迫る道を開くものでもある。

 クレッチマーKretschmer,E.(1950)は,自己意識をとらえようとすると,体験作用や体験内容に行き着き,それらの背後にある自己そのものは,直証的なものであるにもかかわらず架空の虚点となり,決してとらえることができないとし,主体としての自己を探究することの困難を指摘している。ミードMead,G.H.(1913,1934)も,Iはmeとして現われるのであり,行動した後になってわれわれは自分が何をしたかを知るのであるとし,主体としての自己は客体としての自己を通してしか知りえないことを指摘している。ミードに先立って,自己を主体としての自己と客体としての自己に分けたジェームズも,客体としての自己の研究に関しては貢献をしたものの,主体としての自己についてはきわめて研究困難なものであるとしている。ヤスパースJaspers,K.(1913,1948)も,自己というのは観察可能性をも反省をも超越しており,無限の反省の頂点にあり,経験的には存在せず歴史的な形においてのみ顕現するとし,主体としての自己が何であるかを問うことは心理学の領域から逸脱すると論じている。

 だが,心理学において主体としての自己に迫ることも不可能ではない。現に盛んに行なわれている心理学的研究を,主体としての自己に迫るものと位置づけることもできる。そこには三つの方向性がありうる。第1に,客体としての自己の動きから主体としての自己の機能やその具体的な動きに迫るという方向がある。ミードやヤスパースの指摘を生かすものといってよいであろう。自己という一見とらえどころのない心理現象に対して,一定の視点から光を照射し,その影を追う,といった形の研究である。その具体例として,理想自己をはじめとする自己概念の研究,他者の目に映る自己をめぐる自己呈示の研究,語られる自己物語の文脈を追う研究などを挙げることができる。第2に,主体としての自己の感知を取り上げるという方向がある。主体としての自己の存在やその機能は,日常的に何気なく感知されている。だれもが日常的に,①世界を構成する原点としての,②能動的行為者としての,③世界を意味づける解釈者としての,④対人的交渉の当事者としての,⑤衝動性の源泉としての,⑥感情性の発露としての,⑦内密性をもつ者としての,⑧同一性をもつ者としての自己の存在をそれぞれ感知しているはずであるし,それらをテーマとした研究もありうるであろう。アイデンティティ研究がその好例である。第3に,主体としての自己の機能に,その欠如態から迫るという方向がある。いつもは自明のものとして意識することもない主体としての自己の機能がうまく機能しなくなったとき,その機能の存在や意味に改めて気づくということがある。人間はだれも自己を中心とする世界を主体的に行動しているという実感のもとに生きている。ところが,離人症のようにそうした実感が欠如する病理現象がある。離人症の研究に代表されるように,日常的に自明のものと受け止められている主体としての自己の機能の欠如態を検討することにより,そうした機能に迫ることができるであろう。

【自己の諸相】 ジェームズは,客体としての自己とは,本人が自分のものであるということのできるすべてのものの総称であるとし,これを物質的自己,社会的自己,精神的自己の三つの構成要素に分けた。ジェームズによれば,物質的自己material selfとは,身体,衣服,家族,家,財産などであり,最も中心的なものが身体である。社会的自己social selfとは,かかわりをもつ人間たちから受ける認識である。したがって,かかわりをもつ人間の数だけ社会的自己をもつことになる。精神的自己spiritual selfとは,本人の意識状態,心的能力,心的傾向などである。クーリーCooley,C.H.(1902)は,自己とはすべて社会的自己であり,それは他者の目に映ったものであるという意味において鏡映自己looking-glass selfとよぶことができるとしている。鏡映自己とは,特定の他者が抱いていると本人が主観的に想像する自己像である。このような自己像によって引き起こされるのが誇りや屈辱感などの自己感情self-feelingであり,クーリーは自己の感情的側面を重視している。クーリーと同様に自己の社会性を重視するミードは,自己は生理学的な生物体そのものではなく,社会的経験や社会的活動の過程で生じるものであるとしている。自己の核心として感情体験を重視するジェームズやクーリーと異なり,ミードは自己の核心は情緒的現象であるよりも認知的現象であるとし,思考過程を重視する。そして,社会的存在として属する社会の他者の態度を取り入れたのがmeであり,meとは他者の態度の組織化されたセットであるという。一方,社会に影響を与える個人の側面がIであり,他者の態度を想定し,その想定された他者の態度に対して応答するのがIであるという。このようなIを直接知ることはできず,Iが動作を起こした後になってmeとして知ることができるのである。

 オルポート(1943)は,自己という心理現象に迫るためにプロプリウムpropriumという概念を導入している。プロプリウムという概念を用いてオルポートが表わそうとしているのは,とくに自分自身のものという感じである。ジェームズも自分のものという感じに着目して,物質的自己,社会的自己,精神的自己からなる客体としての自己をとらえようと試みた。だが,オルポートによれば,このようなジェームズのとらえ方には精神力動的な側面が欠けている。そこで,プロプリウムの概念により,個人のパーソナリティに内的統一性をもたらしているもの,すなわち一般に自己の働きとされている能動的な心理的機能に迫ろうと試みている。オルポートは,自分自身のものという感じと定義されたプロプリウムの機能として,①身体感覚,②自己同一性,③自己高揚,④自己拡大,⑤理性的作用,⑥自己像,⑦独自性追求,⑧認識主体の八つを挙げている。

 自己についての情報の形態に焦点を当てた認知的分析を行なっているナイサーNeisser,U.(1988)は,人間は自分自身についての五つの基本的に異なる種類の情報に接することができ,それぞれが自己の異なる側面を指し示しており,5種類の自己の存在を示唆しているとしている。5種類の自己とは,生態的自己ecological self,対人的自己interpersonal self,拡張的自己extended self,私的自己private self,概念的自己conceptual selfである。のちにナイサー(1993)は,拡張的自己を想起的自己remembered selfと言い換えている。生態的自己とは,目の前の物理的環境との関連において直接知覚される自己である。対人的自己とは,他者とのかかわりをもっている最中に直接知覚される自己である。拡張的自己とは,記憶と予期に基礎をおいた自己である。私的自己とは,自分の意識経験が自分だけのものであることに基づく自己である。概念的自己とは,自分自身についての信念や仮説が体系化されたものとしての自己である。このうち生態的自己と対人的自己は,他の三つのように思い起こされたり,組み立てられたり,概念化されたりする必要がなく,その瞬間瞬間に物理的環境や他者とのかかわりを通して自己の動きや行為を感じ取るものであり,臨場感のある自己認知といえる。そのように感知される生態的自己と対人的自己は,自己の主体的側面を反映したものといえる。一方,拡張的あるいは想起的自己,私的自己,概念的自己は,まさしく自己の客体的側面に言及するものといえる。

【客体としての自己概念】 客体としての自己の研究は,主として自己概念を対象として展開されてきた。自己概念の重要性を強調するロジャーズRogers,C.R.(1951)によれば,適応や健康なパーソナリティにおける自己概念とは意識に上ることを許容できる自己についての知覚の体制化されたゲシュタルトであり,自分の特性や能力についての知覚,他人や環境との関係における自己についての知覚や概念のことである。また,自己概念はいろいろな経験や対象に結びついていると知覚される価値の特質,積極的あるいは消極的な誘意性をもっていると知覚される目標や理想といった諸要素から構成される。行動主義的立場を取るブラッケンBracken,B.A.(1992)は,個人の自己概念はさまざまな社会的文脈における行動やさまざまな刺激に対する反応,明言された恐れや好みなど,その人間独自の行動パターンから推測されるとし,自己概念を行動的構成概念としてとらえようと試みている。ブラッケンは,自己概念とは,過去の行動や経験についての個人的評価を反映し,個人の現在の行動に影響を及ぼし,個人の将来を予言する,多次元的で文脈に依存した,学習された行動パターンであると定義している。シャベルソンShavelson,R.J.ら(1976)は,最も包括的な定義をするとすれば,自己概念とは自分自身についての知覚であるとしつつ,自己概念のさらなる定義は組織的,多面的,階層的,安定的,発達的,評価的,そして弁別的でなければならないとしている。

【自己概念の諸次元】 シャベルソンたちによる自己概念の構成概念的妥当性に関する議論以来,自己概念が多次元かつ多面的な構成概念であるという点に関しては,多くの研究者の承認するところとなっている。自己概念の主要な次元として,記述的次元と評価的次元がある。自分自身の様相を記述したものが記述的次元の自己概念,その記述に対してなんらかの評価を加えたものが評価的次元の自己概念となる。これらのほかに,感情的次元,重要視次元,可能性次元などがある。マーカスMarkus,H.とニューリアスNurius,P.(1986)やヒギンズHiggins,E.T.(1987)の理想自己や義務自己についての研究などは,可能性次元の自己概念に関するものといえる。

 自己概念と混同されがちなのが自己評価self-evaluationや自尊感情self-esteemである。一般に,自己概念は認知的・情動的・行動的側面を含む比較的包括的な構成概念であり,自己評価や自尊感情はとくに自己概念の評価的次元を意味する構成概念であると考えられている。その場合,自己概念は記述的次元や評価的次元を含む複合的な構成概念とみなされる。自尊感情と自己評価は,ほとんど区別せずに用いられることが多いが,自尊感情というからには自己に関する評価そのものに止まらず,評価によって喚起される感情的側面を指すものでなければならない。自己のある側面を高く(低く)評価することと,それによって肯定的(否定的)感情が喚起されることとは,別次元の問題とみなすことができる。したがって,自己概念の個々の記述的側面に対する具体的評価が自己評価であり,さまざまな自己評価的経験の積み重ねを通して形成された自己評価的な感情複合体が自尊感情であるというように,両者を区別するのが妥当であろう。

【自己概念の多面性と階層性】 自己概念を多面的かつ階層的にとらえるのがシャベルソンたちの多面的階層モデルである。シャベルソン・モデル(Shavelson,et al.,1976。その後さまざまな改訂版が提起されている)は,学業的自己概念,社会的自己概念,情動的自己概念,身体的自己概念の四つの側面から自己概念をとらえるものである。四つの側面別自己概念の下位にも,さらなる下位側面別自己概念をおいている。たとえば,学業的自己概念の下位には科目別自己概念が,社会的自己概念の下位には対人関係の種類に応じた自己概念が,情動的自己概念の下位にはその時々の情動状態についての自己概念が,身体的自己概念の下位には身体的能力や外見についての自己概念がそれぞれおかれる。自己概念を多面的にとらえようというモデルにはさまざまなものがあるが,学業的自己概念,社会的自己概念,身体的自己概念の三つの側面を想定する点では,ほぼ共通している。

【自己概念と適応・健康】 今ここにある自己を現実自己とすると,いまだ実現していない自己を可能自己possible selfとよぶことができる(Markus & Nurius,1986)。可能自己とは,なるだろう自己,なりたい自己,なることを恐れている自己などを指し,自己についての認知と動機づけをつなぐものといえる。理想自己ideal selfや義務自己ought selfという形の可能自己と現実自己との不一致と適応の関係を検討したのが,ヒギンズ(1987)の自己不一致理論である。自己不一致self-discrepancyとしては,現実自己と可能自己との不一致が問題にされることが多かった。現実自己と理想自己の不一致に関する研究がその典型といえる。だが,ヒギンズは可能自己同士の不一致も問題にしている。理想自己や義務自己は現実自己を導く自己指針とみなすことができるが,本人が掲げる理想自己と重要な他者である両親から期待されている理想自己との不一致,親友や恋人から期待されている理想自己と両親から突きつけられている義務自己との不一致など,自己指針間の不一致もさまざまな葛藤をもたらすと考えられる。

 自己概念の複雑性や明確性も,パーソナリティの健康や適応と関係している。リンビルLinville,P.W.(1985)は,認知的複雑性を自己認知に適用し,自己複雑性self-complexityの概念を提唱している。自己複雑性とは,自己概念が多くの側面に仕切られ,多面的にとらえられていること,さらに各側面が明確に区別されていることを意味する。リンビルの自己複雑性緩衝仮説self-complexity buffering hypothesisによれば,自己複雑性はストレスとなるライフイベントに対して緩衝器としての役割を果たすため,自己複雑性の高い人間はストレスに強く,うつや身体症状が少ない。キャンベルCampbell,J.D.(1990)は,自己概念の明確性clarity of self-conceptという概念を提唱し,自尊感情の低い人は自己概念の明確性が低いことを指摘している。自己概念の明確性とは,自己概念の内容や自己についての信念が明確で,自信をもって定義され,通時的に安定しており,内的に一貫性を保っていることを意味する。自己概念の明確性とストレス対処行動を検討した研究により,自己概念の明確性は,行動を起こす,計画する,肯定的に再解釈するといった能動的な対処行動との間に正の相関を示し,否認する,ひたすら行動することで考えないようにする,諦めるといった受動的な対処行動とは負の相関を示すことが明らかにされている(Smith,M.et al.,1996)。

【自己の発達】 自己意識の発達において重要な意味をもつのは,社会的自己の獲得,クーリーのいう鏡映自己の獲得である。いわば,自分が他者の目にどのように映っているかという意味での可視的自己の獲得である。これを検証するためによく用いられるのが鏡像実験である。ルイスLewis,M.とブルックス・ガンBrooks-Gunn,J.(1979)やザゾZazzo,R.(1975)の報告,メルロー・ポンティMerleau-Ponty,M.(1962)の考察によれば,初めは自己の鏡映像にまったく気づかなかった乳児も,生後8ヵ月くらいになると自己の鏡映像を認め,それに興味を示すようになる。自己の鏡映像をまるで自分とは別の存在であるかのように扱い,それと戯れることを通して,1歳から1歳半くらいにかけて,鏡映像とこちら側にいる自己の身体との対応づけがなされていく。こうして2歳を過ぎるころから,自己の鏡映像を実在視することがなくなり,それが自分が直接感じ取っている身体の反映であることを理解するようになる。これにより,内臓感覚,筋肉運動感覚,平衡感覚などを通して直接感じ取ることができる内受容的自己と,鏡映像という形で知ることができる可視的自己(鏡映自己)との,自己存在の二重構造が確立される。このとき同時に,その可視的自己が他者の目に映る自分の姿であることも理解される。これは,社会性を帯びた自己の獲得ということができる。

 自己を客体視できるようになるのが2歳くらいからであるとするなら,客体としての自己に相当する自己概念も,2歳以降に形を取り始めることになる。幼児を対象にした研究によれば,発達初期の自己概念には,行動的記述や身体的記述,所有物の記述が多い。つまり,行動的自己概念や身体的自己概念が中心となる。児童期になると,当初は身体的記述など外見的自己概念が中心であるが,しだいに性格や思想など内面的自己概念が登場し始める。そして青年期になると,内面的自己概念が中心となり,それが多面的かつ統合の取れたものへと組織化されていく。デュウェックDweck,C.S.ら(1992,1994)は,年長児と年少児では,失敗後の否定的な自己のとらえ方に違いがあることを見いだしている。年長児は失敗した課題に直接関係した自己の能力を否定的に評価するのに対して,年少児は領域を特定化せずに自己を全否定する傾向が見られた。バーンシュタインBernstein,R.M.(1980)は,10歳,15歳,20歳の人びとを対象に,自分がさまざまな場面で取る行動をリストアップさせてから,羅列された行動をすべてつなげて自分自身を叙述する文章を作成させる実験を行なった。その結果,10歳の子どもは自分の取るさまざまな行動を羅列的に認知しているだけで,それらの関連や矛盾を理解していなかった。15歳では自分の行動の多様性に気づくが,相矛盾する行動の間に整合性をもたらす原理を構築することができなかった。20歳になると,自分の行動の多様性を認識しつつも,自己の一貫性を維持する統合原理を見いだし,自分の行動の諸側面を統合的にとらえることができていた。こうしてみると,自己概念の発達の方向性としては,①物質的・外面的な把握から心理的・内面的な把握へ,②具体的な行動水準の把握からより抽象的・安定的な特性水準の把握へ,③包括的な把握からより分化した多面的な把握へ,④単価的な把握から両価的な把握へ,⑤羅列的な把握から内的連関を保った統合的な把握へといった流れを想定することができる。

 自己の発達を特性論的にとらえるのでなく,物語論的にとらえることも有用であろう。マクアダムスMcAdams,D.P.(2006)は,特性論的な心理学は伝記的・社会的・歴史的な文脈において,人間を全体として理解するための包括的な枠組みを提供することができなかったとしている。個人の発達を自己物語self-narrativeを通してとらえようと試みる榎本博明(2000,2002,2008)は,自己物語が自分の行動や自分の身に降りかかった出来事に首尾一貫した意味づけをし,諸経験の間に因果の連鎖を作ることで,現在の自己の成り立ちを説明する,自分を主人公とした物語であると定義し,その生成と書き換えについての検討を行なっている。自己物語の変容と個人の発達の関係が如実に表われるのが人生の転機turning pointである。自己物語は,新たな経験を組み込みつつ日々更新されるが,新たな経験はすでに存在する自己物語の文脈に沿って解釈され,組み込まれるため,自己物語自体にそれほど大きな変化は生じない。自己物語の文脈にうまく収まらない経験や矛盾する経験は,可能な限り無視されたり,都合よく歪められて組み込まれる。また,自己物語の文脈にうまく収まる出来事はしばしば想起され,矛盾を引き起こす可能性のある出来事はあまり想起されない。このような選択的知覚や自己中心的解釈,選択的想起の働きによって,自己物語は安定性を保つことができる。だが,ときに自己物語にどうにも組み込みがたい,しかも無視できない経験をすることがある。初めのうちは無視したり歪めたりしていても,そのうちに自己物語にほころびが見えてくることがある。そのようなときには,日々の更新とは別に,自己物語の大幅な改訂が必要となる。新たな状況に対処していける自分の創造につながる新たな自己物語を構築する必要に迫られる。これが人生の転機である。

 人生の転機には,それまで維持されてきた自己物語がうまく機能しなくなり,解体の危機に瀕する。過去のさまざまな経験のもつ意味の再点検が行なわれ,新たな状況によりふさわしい自己物語の構築がめざされる。この転機における自己物語の機能不全と再構築への要求が,ときに個人を危機に追い込む。青年期や中年期が心理的危機をもたらすとされるのも,それまでの生き方を再点検し,生活構造を大きく組み替えていく必要に迫られるからである。そのような意味において,人生の危機とは,現実の出来事自体の危機であるよりも,自己物語が現実の出来事や状況をうまく説明できない,つまり自己物語の機能不全という意味での危機なのである。自己物語の組み替えがうまくいかないとき,人間は不安定さの中で不安や不快を募らせ,引き裂かれた思いに悩み苦しむ。自己物語の機能不全は,自己の機能不全を意味する。このように自己物語を素材として自己の発達的変容をとらえることができる。 →現象学的自己理論 →自我心理学 →自己意識感情 →自己物語法 →自尊感情 →社会的自己
〔榎本 博明〕

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