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自然【じねん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

自然
じねん
仏教用語。 (1) おのずから,ひとりでに,(2) 事物本性仏教真理,(3) 自発生的な存在,(4) 特別な原因がなく万物は自然に生成変化する (無因論) ,といったいろいろな意味に用いられる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

し‐ぜん【自然】
[名]
山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるもの。「自然に親しむ」「郊外には自然がまだ残っている」
人間を含めての天地間の万物。宇宙。「自然の営み」
人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態。天然。「野菜には自然の甘みがある」
そのものに本来備わっている性質。天性。本性。「人間の自然の欲求」
哲学で、
㋐他の力に依存せず、自らの内に生成・変化・消滅の原理を有するもの。
㋑精神とは区別された物質的世界。もしくは自由を原理とする本体の世界に対し、因果的必然的法則の下にある現象的世界。経験の対象となる一切の現象。
[形動][文][ナリ]
言動にわざとらしさや無理のないさま。「気どらない自然な態度」「自然に振る舞う」
物事が本来あるとおりであるさま。当然。「こうなるのも自然な成り行きだ」
ひとりでにそうなるさま。「自然にドアが閉まる」
[派生]しぜんさ[名]
[副]
ことさら意識したり、手を加えたりせずに事態が進むさま。また、当然の結果としてそうなるさま。おのずから。ひとりでに。「無口だから自然(と)友だちも少ない」「大人になれば自然(と)わかる」
《「自然の事」の略》もしかして。万一。
「都へ上らばやと思ひしが、―舟なくてはいかがあるべきとて」〈伽・一寸法師
たまたま。偶然。
「礫(つぶて)打ちかけしに、―と当り所悪しくそのままむなしくなりぬ」〈浮・諸国ばなし・一〉

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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じ‐ねん【自然】
(「に」や「と」を伴って副詞的に用いる)おのずからそうであること。ひとりでにそうなること。
「―と浸み込んで来る光線の暖味(あたたかみ)」〈漱石
仏語。人為を離れて、法の本性としてそうなること。
少しも人為の加わらないこと。天然のままであること。
本尊は―湧出の地蔵尊とかや」〈地蔵菩薩霊験記・九〉

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世界大百科事典 第2版

しぜん【自然 nature】
自然という言葉は,もと中国に由来するものである。中国で自然という語が最初に現れてくるのは《老子》においてである。たとえば〈として其れ言を貴(わす)れ,功成り事遂げて,百姓(ひやくせい)皆我を自然と謂う〉(第17章),〈人は地に法(のつと)り,地は天に法り,天は道に法り,道は自然に法る〉(第25章)などである。自然とは元来,猛然とか欣然のようにある状態を表す言葉であり,存在を示す名詞ではない。それは自分を意味する〈自〉と状態を表す接尾辞〈然〉からなり,〈自分である状態〉を示すものであった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

じねん【自然】

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大辞林 第三版

しぜん【自然】
人為によってではなく、おのずから存在しているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。 -を破壊する -の猛威 -を愛する
人や物に本来的に備わっている性質。天性。 楽しい時には笑い、悲しい時には泣く、それが人間の-だ
nature 古代ギリシャで、他の力によるのではなく自らのうちに始源をもち生成変化するものの意。ここから人為・作為から区別されたありのままのものの意にもなり、事物に内在する固有の本性ないしは本性的な力の意ともなる。また中世では、被造物一般のことであり、さらに神の恩寵おんちように対して人間が生まれつき具有するものを指す。
形動
行為や態度がわざとらしくないさま。 -な動作 -な反応
(「に」や「と」を伴うこともある)特に手を加えたり意識したりしないのに事態が進行するさま。ひとりでに。おのずと。 -に体が震えてくる 世の中のことが次第に分るにつれ-と心に合点が行き/谷間の姫百合 謙澄 -祖母が一家の実権を握つてゐた/平凡 四迷
万一の事態の起こるさま。ひょっとして。 -モ人ニ行キ逢エバ、藁芥わらあくたノ中ニ逃ゲ入ッテ隠ルルニモ心安イ/天草本伊曽保 類義の語に天然があるが、天然は人の作為が加わっていない、本来の姿のままであることをいう。それに対して自然は人の力を越えたところで存在する物や現象をいうじねん自然
[派生] -さ

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

じねん【自然】
呉音
ある事物や事態が、外部からの影響力によるのではなく、それが本来的に備えている性質によって、一定の状態や特性を生ずること。 → 自然法爾じねんほうに
万物は因果によって生じたのではなく、現在あるがままに存在しているものだとする考え。仏教の因果論を否定する無因論で、外道げどうの思想の一つ。
人為が加わらないこと。ひとりでにそうなること。ありのまま。 コレワ別ノ子細デワナイ。タダ天道ノ-ヂャ/天草本伊曽保
たまたまそうであること。偶然。 衣の内より火出で来て焼けぬ。此れ-の事かと思ひて/今昔 4 古くはじねんはありのままの意、しぜんは万一の意に使い分けられた

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日本大百科全書(ニッポニカ)

自然
しぜん
Naturドイツ語
nature 英語 フランス語
元来、自然とは、自(みずか)らの本性に従って(自(おの)ずから然(しか)るべく)あるもの、あるいは生成するもののことである。したがって、多くのヨーロッパ語において、「自然」と「本性」とは同じことばで言い表される。そして、「自然」とよばれるもののなかに何が含まれるかは、おのおののものの「本性」として何を考えるか、また、その本性に対立するものとして何を考えるかによって、さまざまに考えられてきた。
 近代以降、もっとも典型的な「自然」の用法は、人間と自然とを対置し、人間による介入・干渉、人工品との対比において「自然」を語る用法であろう。この意味では、人手の加わらないものが「自然」なのである。しかしまた、人間についても「自然」が語られる。「人間本性」human natureとは、まさに人間における自然である。ここで人間の自然と対比されているのは、一方では全自然の創造者(神)であるが、他方では個々の人間が属する特定の社会、その社会がもつ制度や文化といったものであろう。社会、制度、文化(これらをかりに「文化的存在」とよぼう)は、もちろん人間がつくったものであり、人工品と自然の場合と同様に、ここでも、このような文化的存在をつくる人間の知的創造性、自由が、「人間の自然」と対置されているのである。
 このように、自然(人間の自然も含めて)と人間(の創造性)とを対置することの基盤には、人間は、自然の一部でありながら、同時に(単なる)自然を超えた存在である、という信念がある。だが、人間にこのような特異な位置づけを与えようとする場合、はたして何が「人間の自然(本性)」に属し、何が属さないのか、という問題が生ずる。自然と対置された人間の知的創造性、自由も、人間の自然(本性)に属するのではないのか、社会を形成し、さまざまの制度のもとで生活し、文化を創造することも、人間の本性的なあり方ではないのか、という問題である。もしこのような問いに、すべて肯定的に答えるならば、(文化の一部としての)科学・技術を駆使してさまざまの事物に手を加え、いわゆる「自然」を破壊することも、また逆に、そのような「自然破壊」を予測し、それを未然に防ぐ手だてを講ずることも、「人間の自然」に含まれ、ひいては「自然」に含まれることになるであろう。かくして、自然と人間との対比は、きわめて不確かなものとなる。
 また、近代以降の機械論的発想に基づく「自然科学」における「自然」も、確かに対象領域のうえで、前記の「文化的存在」に対して「自然的」存在に限定されているが、その適用範囲は非常に広く、人間自身にも人工品にも適用される。そこでは、「自然法則」をその本性とするような諸部分から構成されたものは、すべて「自然」なのであり、その本性(自然法則)は、(「超‐自然的」な力、奇跡を別とすれば)いかなるものの干渉・介入をも許さぬものであって、その意味では、すべてのものがつねに、みずからの本性に従った「自然」なあり方をしていることになる。さらにまた、対象領域のうえでの対立者である「文化的存在」も、けっして(人間も含めた)自然的存在から独立したものではなく、むしろ自然的存在のあり方の一側面である、といえるならば、自然と人間との対比は、ますます薄弱になるであろう。
 現在、人間に関する自然科学的探究が進展し、また、機械による人間の模倣(人工知能)が進むなかで、世界のなかでの人間の位置が改めて問われており、それは同時に、「自然」という概念の再考を求める問いである、といえよう。[丹治信春]
『三宅剛一著『学の形成と自然的世界』(1973・みすず書房) ▽A・O・ラヴジョイ著、内藤健二訳『存在の大いなる連鎖』(1975・晶文社) ▽P・M・チャーチランド著、信原幸弘・宮島昭二訳『認知哲学――脳科学から心の哲学へ』(1997・産業図書) ▽下條信輔著『サブリミナル・マインド――潜在的人間観のゆくえ』(中公新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

し‐ぜん【自然】
〘名〙
[一]
① (形動) 山、川、海、草木、動物、雨、風など、人の作為によらずに存在するものや現象。また、すこしも人為の加わらないこと。また、そのさま。それらを超越的存在としてとらえることもある。
※色葉字類抄(1177‐81)「自然 シセン シネン」
※吾妻鏡‐文治五年(1189)一二月九日「寺号又任御心願之所一レ催。兼被撰定之処。重今依一字之依違、有自然之嘉瑞
※珊瑚集(1913)〈永井荷風訳〉腐肉「照付くる日の光自然を肥す」 〔淮南子‐原道訓〕
② (形動) あることがらが、誰にも抵抗なく受け入れられるさま。また、行為・態度がわざとらしくないさま。
※経国集(827)一・和和少輔鶺鴒賦〈菅原清人〉「任亭毒於自然、従運命兮挙動」
※こゝろ(1914)〈夏目漱石〉上「其方が私に取って自然(シゼン)だからである」
③ 天からうけた性。物の本来の性。天性。本性。
※太平記(14C後)二「六義数奇の道に携らねども、物類相感ずる事、皆自然(シセン)なれば、此歌一首の感に依て、嗷問の責を止めける」
④ 「しぜん(自然)の事」の略。
※実隆公記‐延徳三年(1491)六月一四日「仍院主若又有自然之儀者、聖深前難治之間及此儀云云」
[二] 多く「しぜんと」「しぜんに」の形、または単独で副詞的に用いる。物事がおのずから起こるさまを表わす。
① ひとりでになるさま。おのずから。また、生まれながらに。
※続日本紀‐養老七年(723)八月甲午「若其存意督察。自然合礼」
※枕(10C終)二六七「されど、しぜんに宮仕所にも〈略〉思はるる思はれぬがあるぞいとわびしきや」
※浮世草子・好色五人女(1686)二「自然(シゼン)と才覚に生れつき」
※花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉五〇「自然(シゼン)友人の交際も疎濶なるの理なれども」
② そのうち何かの折に。いずれ。
※浮世草子・西鶴織留(1694)五「其後分別して七色を札(ふだ)七枚にいたし置ければ、自然(シゼン)また請出す事も有」
※金(1926)〈宮嶋資夫〉二五「一度御主人様にお目にかかりたいと存じてお伺ひ致しましたのですが、どうぞ自然(シゼン)お序(つひで)もございましたら、何分よろしく」
③ 物事がうまくはかどるさま。
※浮世草子・西鶴織留(1694)二「娌(よめ)をよび入る思案にて、先居宅(ゐたく)見せかけにして、自然(シゼン)とよい事をしすましたる者も有」
④ 物事が偶然に起こるさま。ぐうぜん。
※台記‐天養二年(1145)八月二二日「法皇不使者告、自然臨幸云々」
※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)二「らくちうをさがしけるに、自然(シゼン)と聞出し、彼子を取かへし」
⑤ 異常の事態、万一の事態の起こるさま。もし。もしかして。万一。ひょっとして。
※曾我物語(南北朝頃)八「しぜんに僻事し出候て、上より御たづねあらば」
※浮世草子・好色一代男(1682)二「先づけふまでの浮世、あすは親しらずの、荒磯を行ば、自然(シゼン)水屑と成なむも定難し」
[語誌](1)古代、漢籍ではシゼン、仏典ではジネンと発音されていたものと思われるが、中世においては、「日葡辞書」の記述から、シゼンは「もしも」、ジネンは「ひとりでに」の意味というように、発音の違いが意味上の違いを反映すると理解されていたことがうかがわれる。なお、中世以降、類義語である「天然」に「もしも」の意味用法を生じさせるなどの影響も与えたと考えられる。
(2)近代に入って、nature の訳語として用いられたが、当初は、「本性」という意味であったと言われており、後には、文芸思潮である「自然主義」などにも使われるようになる。
(3)「自然」と「天然」は、明治三〇年代頃までは、「自然淘汰」「天然淘汰」などの例があり、現代などとは違って、二語は意味用法において近い関係にあった。

出典:精選版 日本国語大辞典
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じ‐ねん【自然】
〘名〙 (「じ」「ねん」は、それぞれ「自」「然」の呉音)
① 仏語。
(イ) すこしも人為の加わらないこと。天然のままであること。仏教的立場からは否定される無因論をとく自然外道に見られるもの。
(ロ) おのずからそうであること。本来そうであること。仏教そのものの真理を表わすものとして用いられるもの。無為自然、業道自然、自然法爾などと表現される。
※往生要集(984‐985)大文二「無三途、苦難之名、但有自然、快楽之音
※源平盛衰記(14C前)三四「力は樊噲張良が如くつよく、心は将門純友が如くに猛けれ共、乗たる馬弱ければ、自然(ジネン)の犬死をもし、永き恥をも見(みる)事に侍り」
② (副詞的に用いる。「に」や「と」を伴って用いることが多い) おのずから、そうであるさま。ひとりでに、そうなるさま。
※勝鬘経義疏(611)歎仏真実功徳章「且欲外道我自然知之過
※源氏(1001‐14頃)帚木「人の品高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、隠るる事多く、じねんに、そのけはひ、こよなかるべし」
[補注]仏教関係では「じねん」とよむことが多い。また、中世以前では、「ひとりでに、おのずから」の意のときは「じねん」とよむことがふつうで、「万一、ひょっとしたら」の意のときは「しぜん」と読みわけていたといわれる。

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