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自由党【じゆうとう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

自由党
じゆうとう
日本の政党。日本最初の全国的自由主義政党。自由民権運動のなかで重要な役割を果した。 1881年 10月 18日に板垣退助中島信行後藤象二郎末広重恭馬場辰猪らが結成。総理板垣,中央機関紙『自由新聞』を発行。薩長両藩出身者が支配する藩閥政府と対決,自由民権の伸長,地租軽減,条約改正などの要求を打出し,各地で急速に勢力を伸ばした。しかし 82年6月の突然の集会条例改正による地方部の解体や,福島事件をはじめとする政府の激しい弾圧政策,不況による資金の欠乏,板垣の外遊をめぐる党内抗争などにより,84年 10月 29日ついに解党に追込まれた。

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自由党
じゆうとう
日本の政党。1950年3月1日にそれまでの民主自由党から改名した。その前身日本自由党は 1945年11月に発足したが,翌 1946年鳩山一郎初代総裁が公職追放となり,吉田茂が総裁となった。民主党幣原喜重郎派が結成した民主クラブと合同し,1948年3月,民主自由党を結成。1949年1月の衆議院議員総選挙で絶対多数を獲得したにもかかわらず,幹事長広川弘禅らは犬養健民主党総裁に合同を働きかけ,1年あまりも難航して民主党連立派を吸収したのを機に自由党に改名した。自由党は,第3次から第5次に及ぶ吉田内閣の安定基盤となり,吉田政治を支えた。しかし,1951年夏以降は戦後派で固めた吉田勢力と,追放解除組の鳩山勢力との対立が激化した。この党内抗争は,1952年7月福永健司幹事長指名阻止の反乱に始まり,1953年3月の分党派自由党(鳩山自由党)の結成と同 1953年11月の自由党への復帰および三木武吉ら 8人による日本自由党の結成など間断なく続いた。1954年に入り,造船疑獄などによって長期政権の腐敗を露呈して人心を失い,同 1954年11月には分党派が離党し,改進党とともに日本民主党を結成する。同年 12月吉田首相は退陣して総裁の地位を緒方竹虎に譲った。緒方総裁は保守合同に積極的で,1955年11月15日,自由党は鳩山総裁の日本民主党と合同し,自由民主党となった。(→55年体制

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自由党
じゆうとう
日本の政党。 1890年1月 21日大同団結運動のさなか旧自由党員を結集して,大井憲太郎内藤魯一らが再興した政党。8月板垣退助の愛国公党,旧自由党系の大同倶楽部と合同して庚申倶楽部を結成。これを中心に9月立憲自由党を結成し,91年3月再び自由党に改称藩閥政府に対し,「政費節減,民力休養」をスローガンとして対立。歴代の藩閥内閣がしばしば議会を解散して選挙干渉を行なったにもかかわらず,選挙では常に第1党となった。 98年6月進歩党と合同して憲政党を結成したがまもなく分裂,1900年旧自由党系主流は立憲政友会の結成に参加した。

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自由党
じゆうとう
日本の政党。新進党小沢一郎を中心として 1998年1月に結成された保守政党衆議院議員 42人,参議院議員 12人で発足。1999年1月自由民主党との連立政権に参加。2000年4月連立政権を離脱したが,このとき扇千景参議院議員らが政権に残留し新たに保守党を立ち上げた。2003年9月民主党合併したことで,民主党は同年 11月の衆議院議員総選挙で躍進し,自民党とならぶ二大政党体制がもたらされた。解散時衆議院議員 22人,参議院議員 8人。

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知恵蔵

自由党
自由党は新進党の解党を受けて1998年1月、小沢一郎を党首に発足、衆参54人を擁した。自民党への批判を強め、98年7月の参院選では比例区で500万を超す得票をして、「新保守」勢力の一角を占めた。小渕政権発足当初は批判的立場を維持したが、99年1月には自民党との連立に踏み切った。野党戦線で民主党などと共闘しても展望がなかった中、小渕からの連立の要請を小沢が受け入れた。99年10月には自自公政権となった。しかし、連立政権内での主導権争いが次第に激しくなり、小沢は自民党への揺さぶりの狙いもあって、衆院議員定数の削減などを主張。実現できない場合は連立を離脱する考えをたびたび表明した。小沢は、さらに自民党と自由党との合流などを要求した。4月の小渕首相と小沢党首との会談で、合流問題などは決裂。自由党は連立を離脱したが、小沢の党運営などに反発するメンバーは保守党を結成して連立政権に残った。自由党には24人、保守党には26人が、それぞれ参加した。自由党は2000年の総選挙では、衆院18人の勢力から22人に増えた。01年の参院選では改選3議席を6議席に伸ばした。小沢は自民党に対抗できる政党作りが急務だとして、民主党との合併を提唱。菅との合意を踏まえ、03年9月に民主党に吸収される形で合併を実現し、自由党は解党した。
(星浩 朝日新聞記者 / 2007年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」

デジタル大辞泉

じゆう‐とう〔ジイウタウ〕【自由党】
明治14年(1881)板垣退助を中心に結成された政党。フランス流急進的自由主義を唱えた。明治17年(1884)解散。
大同団結運動ののち、明治23年(1890)に大井憲太郎らがを再興した政党。第1回総選挙後、大同倶楽部・愛国公党と合同して立憲自由党を結成、翌年自由党に改称。明治31年(1898)進歩党と合同し憲政党に改組。
昭和20年(1945)鳩山一郎を総裁に日本自由党として発足した政党。鳩山の公職追放後、吉田茂が総裁となり第一次吉田内閣を組織。のちに民主自由党と改称。昭和25年(1950)民主党の連立派を併せて自由党となり、昭和30年(1955)に日本民主党と合同して自由民主党となる。
平成6年(1994)4月、細川護煕内閣の退陣後、自由民主党の渡辺美智雄を非自民政権の首相にするため、先行して同党を離党した議員らが結成した政党。結局、渡辺の参加を得られず新生党羽田孜内閣の連立与党となり、同年12月新進党結成により解散。
平成10年(1998)に新進党の分党に伴い小沢一郎らが結成した保守政党。平成11年(1999)1月自由民主党と連立政権を組織。同年10月公明党が加わると、翌年自由党は連立政権を離脱。この際、離脱に反対した議員が保守党を旗揚げし分裂。平成15年(2003)民主党との合併に伴い解散。
平成28年(2016)に「生活の党と山本太郎となかまたち」から党名変更をした政党。平成31年(2019)4月に国民民主党に合流。
Liberal party》英国の政党。ホイッグ党を前身として、1830年代に同党の急進派を中心として改称。保守党と交互に政権を担当したが、労働党の進出などで第一次大戦後は衰退。20世紀末に自由民主党となった。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

じゆうとう【自由党】
(1)明治前期の自由民権運動隆盛のころに誕生した政党。自由党結成の動きは,国会開設運動が全国的に高揚した1880年に始まる。すなわち植木枝盛らから,全国に拡大した運動の組織強化のため,国会期成同盟を改組して自由主義を標榜する政党を組織すべしとする意見が提出される。そして,国会論,財政論の対立に開拓使官有物払下問題が加わって引き起こされた明治14年の政変により,国会開設の勅諭が発布される81年10月に相前後してこの提案は議決され,次いで自由党の盟約規則審議が行われた。

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じゆうとう【自由党 Liberal Party】
イギリスの政党。前工業化段階に生まれたホイッグ党の工業化社会における発展形態で,19世紀から20世紀の初めにかけて,保守党とともにイギリスの二大政党制を担った。その歴史は,1870,80年代を境に大きく二つに分けて考えることができる。
[第1期]
 自由党は,その前身のホイッグ党の系譜を引く進歩・革新の政党で,19世紀の初頭にいたるまでは,もっぱらホイッグ,すなわち進歩的地主貴族の政党であった。だが,ナポレオン戦争終了後,1820年代から新興ブルジョア階級と結びつき,以後この階級の思想・利害を積極的に代弁するようになった。

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大辞林 第三版

じゆうとう【自由党】
1881年(明治14)結成された日本最初の全国的な政党。総理板垣退助。自由民権運動の中心となったが、弾圧と分裂により84年解党。
大井憲太郎らにより再興されたの後身。1890年(明治23)の第一回総選挙後、愛国公党・自由党・大同俱楽部の旧自由党系三派と九州同志会が中心となって結成した立憲自由党が翌年改組され改称したもの。総理は板垣退助。98年進歩党と合同して憲政党を結成。
1945年(昭和20)、日本自由党の名で鳩山一郎を総裁として結成した保守政党。のち、吉田茂が総裁。48年日本民主党を脱党した一派と合体して民主自由党となる。50年自由党と改称。現在の自由民主党の前身。
ホイッグ党の流れをくみ、一九世紀初頭のイギリスで自由主義貴族とブルジョアを主体に結成された政党。グラッドストンが有名。保守党と交互に政権を担当したが、第一次大戦後衰退。
1998年(平成10)小沢一郎らを中心に結成した保守政党。2003年、民主党に合流し解散。

出典:三省堂
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精選版 日本国語大辞典

じゆう‐とう ジイウタウ【自由党】
[一] 明治一四年(一八八一)国会期成同盟の中から植木枝盛・河野広中らが結成した日本で最初の全国的政党。総理は板垣退助。自由の拡充、立憲政体の確立などを綱領に掲げ、自由民権運動の中核として活動した。同一七年解党。
[二] 明治二三年(一八九〇)大井憲太郎らが再興した議会主義政党。第一回総選挙後解党し、板垣退助の愛国公党、河野広中らの大同倶楽部、九州同志会と結束、立憲自由党を設立したが、翌年改組して復名。同三一年進歩党と合同して憲政党を組織した。
[四] 平成九年(一九九七)小沢一郎が、新保守主義を掲げて結成した政党。同一五年、民主党と合併し解散。
[五] (Liberal Party の訳語) イギリスの政党。ホイッグ党の後身。一八三〇年ごろ結成され、グラッドストーンのもとで全盛期を迎えたが、第一次世界大戦後、進歩派は労働党に、保守派は保守党に吸収されて、少数派に転落

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