●若年寄【わかどしより】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
若年寄
わかどしより
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デジタル大辞泉
わか‐どしより【若年寄】
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世界大百科事典 第2版
わかどしより【若年寄】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
若年寄
わかどしより
江戸幕府の職名。全国の支配を担当した老中に対し、旗本支配を軸に将軍家中の支配を担当した。2代将軍秀忠(ひでただ)期の「江戸老中」に端を発し、3代将軍家光(いえみつ)期の「六人衆」のもとで職掌が整えられた。1634年(寛永11)の「定(さだめ)」には、
一 御旗本相詰候万事御用并(ならびに)御訴訟之事、
一 諸職人御目見(おめみえ)并御暇(おいとま)之事、
一 医師方御用之事、
一 常々御普請(ごふしん)并御作事方(ごさくじかた)之事、
一 常々被下物(くだされもの)之事、
一 京大坂駿河(するが)其(その)外所々御番衆并諸役人御用之事、
一 壱万石以下組はつれ之者御用并御訴訟之事、右之条々、承届可致言上者也(うけたまわりとどけごんじょういたすべきものなり)、
とある。一般には前掲の職掌を担当する「六人衆」を制度史上、若年寄の起源と考えている。しかし「六人衆」は、同じ家光期の1649年(慶安2)に消滅し、その職掌は老中の支配に移される。その後、4代将軍家綱(いえつな)期の1662年(寛文2)に若年寄が設置され、改めて老中・若年寄の分掌事項・支配の役職が定められ幕末に至った。およそ4人を定員とし、ほぼ奏者番(そうじゃばん)、寺社奉行(ぶぎょう)の役職にある1万石から6万石ほどの譜代(ふだい)大名(帝鑑間(ていかんのま)・菊間詰(きくのまづめ))から補任(ぶにん)され、城中は中奥(なかおく)の御用部屋で老中らとともに政務をとった。のち老中あるいは側用人(そばようにん)などに昇格した者も多かった。
[北原章男]
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精選版 日本国語大辞典
わか‐どしより【若年寄】
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旺文社日本史事典 三訂版
若年寄
わかどしより
旗本・御家人を管理統轄したほか,職人・医師・作事に関する事務をも処理した。定員は3〜5名で,小禄の譜代大名から選任し,老中と同じく月番制で執務。年寄(老中)に対して若年なる年寄の意味で,1633年松平信綱以下6人に旗本以下のことを分掌させたのに始まる。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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