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若林強斎【わかばやしきょうさい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

若林強斎
わかばやしきょうさい
[生]延宝7(1679).7.8. 京都
[没]享保17(1732).5.3.
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。名は進居,通称は新七,号は寛,守中翁。浅見絅斎に儒学を,玉木正英神道を学び,山本復斎西依成斎とともに浅見三傑と呼ばれた。崎門学派を継ぎ実践躬行を重んじた。絅斎の没後,京都堺町に家塾を開き,子弟の教育にあたった。著書『家礼訓蒙疏』『大学講義』など。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

わかばやし‐きょうさい〔‐キヤウサイ〕【若林強斎】
[1679~1732]江戸中期の儒学者・神道家。京都の人。名は進居。浅見絅斎(あさみけいさい)に学び、崎門(きもん)学派を継ぎ、実践躬行を強調した。著「若林語録」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

若林強斎 わかばやし-きょうさい
1679-1732 江戸時代中期の儒者,神道家。
延宝7年7月8日生まれ。浅見絅斎(けいさい)にまなび,山本復斎(ふくさい),西依成斎(にしより-せいさい)とともに同門の三傑といわれた。神道を玉木葦斎(いさい)にまなび,和歌もよくした。享保(きょうほう)17年1月20日死去。54歳。京都出身。名は進居(ゆきやす)。通称は新七。別号に寛斎,守中翁。著作に「家礼訓蒙疏」「強斎語録」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

わかばやしきょうさい【若林強斎】
1679‐1732(延宝7‐享保17)
江戸中期の儒者,神道家。名は進居,通称新七,寛斎とも号し,神道の号を守中霊社という。京の人で,浅見絅斎(けいさい)に学び山本復斎,西依成斎とともに浅見門下三傑と称せられた。崎門学派を継承,京に望楠軒という家塾をひらき実践躬行に努めた。強斎の語録は門人山口春水の筆録により《強斎先生雑話筆記》としてまとまっている。また詩文集《強斎遺稿》がある。1732年1月20日。また垂加神道を玉木葦斎(いさい)より受け蘊奥を極め,神儒両道において山崎闇斎の学統を継承した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

若林強斎
わかばやしきょうさい
(1679―1732)

江戸中期の儒者。名は進居、通称新七。京都の人。浅見絅斎(あさみけいさい)に学び、山本復斎(やまもとふくさい)(1680―1730)、西依成斎(にしよりせいさい)(1702―1797)とともに浅見門下三傑といわれる。また玉木葦斎(たまきいさい)(1671―1736)に神道説を学び、和歌にも巧みで、崎門(きもん)学派を継ぎ、実践躬行(きゅうこう)を重視、また奇行の数々が伝えられている。著書に『若林子語録』『若林子遺稿』がある。

[平 重道 2016年7月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

若林強斎 (わかばやしきょうさい)
生年月日:1679年7月8日
江戸時代中期の儒学者
1732年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

わかばやし‐きょうさい【若林強斎】
江戸中期の儒者。京都の人。名は進居、通称新七。浅見絅斎に朱子学を学び、玉木葦斎に垂加流神道を学んで、両者の統一をはかる。絅斎の没後、京都堺町に家塾を開き、子弟を教授した。楠木正成を崇拝して望楠軒と称し、勤皇思想を鼓吹した。著「家礼訓蒙疏」「強斎先生雑話筆記」など。延宝七~享保一七年(一六七九‐一七三二

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

若林強斎
わかばやしきょうさい
1679〜1732
江戸中期の朱子学者
近江(滋賀県)の人。浅見絅斎 (けいさい) の門に入り,米つきをしながら大津から3里の道を通ったという。のち京都錦小路で塾を開いた。山崎闇斎の学風を継ぎ,実践躬行を強調。また和歌もよくした。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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