@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

菊池寛【きくち かん】

美術人名辞典

菊池寛
大正・昭和時代劇作家香川県生。芥川龍之介久米正雄等と第四次『新思潮』を創刊し、「父帰る」等を発表するが認められず、『時事新報』の記者となる。その傍ら「恩讐の彼方に」等を執筆、流行作家となり新聞小説に活躍。文芸家協会会長・大映社長を務めた。昭和23年(1948)歿、60才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

きくち‐かん〔‐クワン〕【菊池寛】
[1888~1948]小説家・劇作家。香川の生まれ。本名、寛(ひろし)。第三次・第四次「新思潮」同人。文芸家協会の設立に尽力し、雑誌「文芸春秋」を創刊。のち、芥川賞直木賞を制定した。小説「恩讐の彼方に」「藤十郎の恋」「真珠夫人」、戯曲屋上の狂人」「父帰る」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

菊池寛 きくち-ひろし

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

菊池寛 きくち-かん
1888-1948 大正-昭和時代の小説家,劇作家。
明治21年12月26日生まれ。第3・第4次「新思潮」同人。大正7年「忠直卿(ただなおきょう)行状記」などの明確なテーマをもった小説でみとめられる。9年「真珠夫人」をかき,通俗小説に転じる。12年雑誌「文芸春秋」を創刊し,のち芥川賞,直木賞,菊池寛賞を創設。芸術院会員。昭和23年3月6日死去。61歳。香川県出身。京都帝大卒。本名は寛(ひろし)。ほかに戯曲「父帰る」,小説「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に」など。
【格言など】悪妻は百年の不作であるという。しかし,女性にとって,悪夫は百年の飢饉である

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

きくちかん【菊池寛】
1888‐1948(明治21‐昭和23)
大正・昭和の小説家,劇作家。香川県生れ。本名寛(ひろし)。父は小学校庶務係で家は貧しかったが,向学心つよく,1908年(明治41)上京,東京高師,明治大学などに籍をおいたのち,10年第一高等学校文科に入学,同級の芥川竜之介,久米正雄,松岡譲成瀬正一らとの交友から文学志望の決意を固めるが,卒業を目前にした13年,友人の罪を着て一高を退学,京都大学選科(のち本科に編入)に進んでイギリスの近代戯曲を学んだ。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

きくちかん【菊池寛】
1888~1948) 小説家・劇作家。香川県生まれ。本名、寛ひろし。京大卒。第三、四次「新思潮」同人。主題を明確にした知的作風で知られ新理知派と称された。雑誌「文芸春秋」を創刊、芥川賞・直木賞を設定した。戯曲「父帰る」、小説「恩讐の彼方に」「真珠夫人」など。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

菊池寛
きくちかん
[生]1888.12.26. 高松
[没]1948.3.6. 東京
小説家,劇作家。本名,寛 (ひろし) 。 1910年第一高等学校に入学,13年中退,のち京都大学英文科卒業。 14年一高時代の旧友芥川龍之介,久米正雄らと第3次『新思潮』を,16年第4次『新思潮』を起し,同年『屋上の狂人』,17年『父帰る』などの戯曲を経て,18年『ゼラール中尉』『無名作家の日記』『忠直卿行状記』,19年『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』など小説を矢つぎばやに発表して認められた。『入れ札』 (1921) ,『蘭学事始』 (21) などの名作を残す一方,新聞連載の『真珠夫人』 (20) の成功によって通俗小説に領域を広げ,昭和期には通俗小説家として大成。また雑誌『文藝春秋』創刊 (23) 以後の出版事業の成功,劇作家協会,小説家協会設立 (21,のちあわせて文芸家協会) による文筆家の福利厚生事業,芥川賞直木賞の設定 (35) による新人育成などで「文壇の大御所」と呼ばれる実力を示した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

菊池寛
きくちかん
(1888―1948)
小説家、劇作家。明治21年12月26日、香川県高松市に生まれる。本名寛(ひろし)。高松中学を経て東京高等師範学校に推薦入学したが、奔放な性行から退学となり、1910年(明治43)第一高等学校文科に入学、同級に芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、久米正雄、山本有三らがいたが、卒業直前に友人の罪を着て退学、改めて京都帝国大学英文科に入学した。在学中の14年(大正3)前記友人たちの同人誌『新思潮』(第三次。翌年第四次)に参加して、イギリス、アイルランドの戯曲に学んだ清新な一幕物『屋上の狂人』『海の勇者』(ともに1916)、『父帰る』(1917)を発表したが反響はなかった。京大卒業後、時事新報社に入社し小説を発表、『無名作家の日記』『忠直卿(ただなおきょう)行状記』(ともに1918)によって新進作家としての地位を確立、ついで『恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』『藤十郎の恋』(ともに1919)など、現実主義の立場からの明快なテーマ小説を発表して世評を得た。20年長編小説『真珠夫人』を新聞に連載し、大衆小説に新境地を開拓した。この年2世市川猿之助の春秋座が『父帰る』を上演して好評を博し、以降劇作家としても迎えられた。ほかに戯曲『義民甚兵衛』(1923)、『時の氏神』(1924)、通俗小説に『火華(ひばな)』(1922)、『第二の接吻(せっぷん)』(1925)などがある。23年雑誌『文芸春秋』を創刊、出版社の経営に成功するほか、文芸家協会の設立、芥川賞・直木賞・菊池寛賞の設定、大映社長として映画事業への参画など多方面に活躍、「文壇の大御所」とよばれた。37年(昭和12)芸術院会員となる。第二次世界大戦後、公職追放を受け、その解除をみないまま昭和23年3月6日狭心症のため没した。[藤木宏幸]
『『菊池寛全集』全10巻(1960・文芸春秋新社) ▽『恩讐の彼方に』(角川文庫) ▽永井龍男著『菊池寛』(1961・時事通信社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

きくち‐かん【菊池寛】
小説家、劇作家。香川県出身。京都帝大卒。正しくは寛(ひろし)。第三・四次「新思潮」同人。「文芸春秋」を創刊、文芸春秋社を設立。芥川賞、直木賞を設定し、作家の育成、文芸の普及に努めた。作家として通俗小説に一生面を開く。著作「父帰る」「無名作家の日記」「恩讐の彼方に」「真珠夫人」。明治二一~昭和二三年(一八八八‐一九四八

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

菊池寛」の用語解説はコトバンクが提供しています。

菊池寛の関連情報

他サービスで検索

「菊池寛」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation