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華岡青洲【はなおか せいしゅう】

美術人名辞典

華岡青洲
江戸後期外科医紀伊生。名は震、字は伯行、通称を随賢、青洲は号。20数年の苦心のすえ〈麻沸湯〉という麻酔薬考案乳癌悪性のはれものなどの手術成果をあげる。門弟多数。のち紀伊藩奥医師格となる。天保6年(1835)歿、76才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

はなおか‐せいしゅう〔はなをかセイシウ〕【華岡青洲】
[1760~1835]江戸後期の外科医。紀伊の人。名は震。字(あざな)は伯行。古医方・オランダ外科を学び、開業。チョウセンアサガオを主剤とする麻酔剤を開発し、日本初の乳癌(にゅうがん)摘出手術に成功した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

華岡青洲 はなおか-せいしゅう
1760-1835 江戸時代後期の医師。
宝暦10年10月23日生まれ。吉益(よします)南涯に古医方,大和見立(けんりゅう)にオランダ流外科をまなぶ。紀伊(きい)那賀郡(和歌山県)西野山村の生家にかえり,医業をつぐ。経口麻酔剤の麻沸湯(まふつとう)(通仙散)を開発し,文化元年日本初の全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した。天保(てんぽう)6年10月2日死去。76歳。名は震(ふるう)。字(あざな)は伯行。通称は随賢。著作に「灯下医談」「瘍科鎖言(ようかさげん)」など。
【格言など】内外合一,活物窮理(信条)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

はなおかせいしゅう【華岡青洲】
1760‐1835(宝暦10‐天保6)
江戸中期の医家で,華岡流外科の創始者。初期の全身麻酔の実施で有名。紀伊国平山(現,和歌山県那賀町平山)で生まれる。震(ふるう),伯行,雲平,随賢ともいった。父もオランダ外科を学んだ医師。1782年(天明2),京都に出,吉益南涯(よしますなんがい)に古医方を,大和見立(けんりゆう)にオランダ外科を学んで,85年帰郷,家業を継いだ。のち再び京都に出たが,同地での体験をもとに,マンダラゲ(曼陀羅華)配合の内服全身麻酔剤〈通仙散〉を案出,妻による人体実験で臨床薬理学的検討を加えたうえ,1804年(文化1)10月13日,初の本剤使用による乳癌摘出手術に成功した。

出典:株式会社平凡社
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

華岡青洲
はなおかせいしゅう
[生]宝暦10(1760).10.23. 紀伊,平山
[没]天保6(1835).10.2. 平山
漢蘭折衷医方の大家で,華岡流外科の創始者。通称随賢,名は震,字は伯行,青洲と号した。医家に生れて京都に遊学,吉益南涯に内科,大和見立に外科を学び,紀州に帰って内外合一,活物窮理,漢蘭折衷を唱え,華岡流外科を樹立したという。 1000人あまりの弟子がおり,文政2 (1819) 年在宅のまま藩侯の医師,次いで侍医となった。弟子の筆録には,鎖肛,鎖陰,乳癌などに外科手術を行なった記録がある。トリカブト,チョウセンアサガオ (マンダラゲ) を主成分とした通仙散という麻酔薬を実用したことは,妻が試験内服して失明した逸話とともに名高い。後世に青洲の著述が多く伝わるが,いずれも写本で,門人が筆記したものばかりである。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

華岡青洲
はなおかせいしゅう
(1760―1835)

江戸末期の外科医。麻酔剤の開発を行い、麻酔下に日本最初の乳癌(にゅうがん)手術を行うなど積極的治療法を推進した。宝暦(ほうれき)10年10月23日、紀伊国(きいのくに)上那賀(なが)郡名手庄西野山村字平山(和歌山県紀の川市西野山)に生まれる。名は震、字(あざな)は伯行、随賢と号し、また居所の名をとって春林軒ともいう。父は村医者であった。23歳で京都に遊学、吉益南涯(よしますなんがい)(1750―1813)から古医方を、大和見立(やまとけんりゅう)(1750―1827)にオランダ、カスパル流外科を学び、在洛(ざいらく)3年ののち帰郷し家業を継いだ。古医方派の実証主義をとり、「内外合一、活動究理」、すなわち内科・外科を統一し、生き物の法則性を明らかにすることを信条として、積極的な診療技法を展開した。彼の開発した麻酔薬「通仙散」は、マンダラゲ(チョウセンアサガオ)を主剤とするもので、ヨーロッパの薬方に採用されていることを知ったのがヒントになり、中国医書を参考に改良を加えたものである。成分の配合と麻酔効果の関係を研究するため、たびたび被験者として協力した母は、おそらくその中毒によって死亡、妻も失明した。この麻酔薬を用いて多くの手術を行ったが、1804年(文化1)10月13日、紀州五條(ごじょう)の藍屋(あいや)利兵衛の母、勘に行われた乳癌摘出手術は日本最初である。手術は成功したが、患者は翌1805年2月に死亡している。このほかに乳癌手術だけでも150例ほど行っている。門人録に署名しているもの305人、広く全国から入門が相次いだ。天保(てんぽう)6年10月2日死去。

[中川米造]

『呉秀三著『華岡青洲先生及其外科』(1923・吐鳳堂書店/複製・1994・大空社)』『松木明知著『華岡青洲と麻沸散――麻沸散をめぐる謎』(2006/改訂版・2008・真興交易医書出版部)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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367日誕生日大事典

華岡青洲 (はなおかせいしゅう)
生年月日:1760年10月23日
江戸時代中期;後期の漢蘭折衷外科医
1835年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

はなおか‐せいしゅう【華岡青洲】
江戸後期の医者。紀伊国(和歌山県)の人。本名は震。字(あざな)は伯行。漢方および蘭方を学び、麻酔剤を開発、乳癌(にゅうがん)の手術に成功した。宝暦一〇~天保六年(一七六〇‐一八三五

出典:精選版 日本国語大辞典
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