●華族【かぞく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
華族
かぞく
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デジタル大辞泉
か‐ぞく〔クワ‐〕【華族】
2 《古くは「かそく」とも》平安時代以後、清華(せいが)家の別称。かしょく。
「―も英雄も面をむかへ肩をならぶる人なし」〈平家・一〉
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世界大百科事典 第2版
かぞく【華族】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
華族
かぞく
明治以降の特権的貴族層を主としていう。明治以前は公卿(くぎょう)の摂家に次ぐ家格である清華家(せいがけ)の別称である。1869年(明治2)6月版籍奉還後、従来の公卿、諸侯の称を廃してすべて華族とし、新しい身分階層を設けた。このときの華族数は427家。1871年廃藩によって旧諸侯の藩知事は東京居住の華族となり、武家、公家(くげ)の華族の別がなくなった。そして皇族華族取扱規則を定めるとともに、四民の上にたち、国民の師表たることを諭達され、また家禄(かろく)も政府から支給されることになった。1874年6月には華族内部の団結と交友のため華族会館が創立されたが、廃藩後政治的実権を失った華族層の覚醒(かくせい)を促す意味もあり、子弟教育のために、1877年学習院を開校した。1884年に華族令が制定され、これにより従来の華族に加えて、国家に勲功のあったとされる政治家、軍人、官吏、実業家などが新たに華族の列に加えられた。爵位は、公、侯、伯、子、男の5段階に分かれているが、公家は旧来の家柄、旧諸侯は旧領石高をほぼ基準としてランクづけられ、勲功華族は薩長(さっちょう)など藩閥出身者が多く、しかも高位に叙爵された。華族令の制定には伊藤博文(いとうひろぶみ)らの尽力があったが、国会開設を控えて、華族を貴族院議員とする構想があり、そのためにも勲功新華族の創立が必要とされたのであった。明治憲法と貴族院令の制定により、公侯爵全員、および伯子男爵は互選で貴族院議員となると定められ、新たに政治的特権が付与された。そのほか華族の特権としては、家督相続人の爵位の世襲制、「華族世襲財産法」や華族銀行たる第十五国立銀行の創立による華族財産の特別保護と管理がある。また華族は「皇室の藩屏(はんぺい)」たるべき任にあるとされ、華族とその子弟の婚姻も宮内大臣の許可を要した。なお叙爵や昇爵は、勲功のあるごとに、とくに戦争ごとに行われた。1947年(昭和22)日本国憲法によって華族制度は廃止された。
[佐々木克]
『社団法人霞会館編・刊『華族会館史』(1966)』
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旺文社日本史事典 三訂版
華族
かぞく
②1869年から1947年にわたる特権身分
公家としては摂関家に次ぐ家柄で,最高の官職としては三公に任ぜられる。しかし左・右大臣は摂関家に独占されるので,ほとんど内大臣どまりである。久我 (こが) ・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門 (おおいごもん) ・菊亭・広播 (ひろはた) ・醍醐 (だいご) の9家がこの家柄である。
1869年版籍奉還の際,旧公卿・諸侯らに与えられた身分呼称で,士族・平民の上に位する新しい階層とされた。'76年華族を家系によって6部に分け,部長をおいて国家的に統轄した。'84年の華族令で特権的身分が確立し,華族会館を創設して華族内部の団結をはかった。第二次世界大戦後,日本国憲法で廃止。
出典:旺文社日本史事典 三訂版
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