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華族【かぞく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

華族
かぞく
明治以前には清華別称であったが,明治2 (1869) 年6月 17日の版籍奉還布告と同時に出された太政官達で,公卿諸侯を廃して華族の称に改められたのに始る。さらに 1884年の華族令によって公侯子男の5爵が設けられ,従前の公卿,諸侯のほか明治維新およびその後国家に勲功のあった政治家,軍人などに与えられた。この華族令の施行は,やがて開設される帝国議会において,民選の衆議院を牽制する役割をになう貴族院の基盤を形成するところにねらいがあった。華族は世襲貴族院議員となり,あるいはこれを互選する権利,その他の特権が伴い,皇族と並ぶ特殊な身分を形成した。第2次世界大戦後に廃止。日本国憲法 14条2項は「華族その他の貴族の制度は,これを認めない」と定めており,この制度が復活する余地はない。

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デジタル大辞泉

か‐ぞく〔クワ‐〕【華族】
公・侯・伯・子・男の爵位を有する者。明治2年(1869)旧公卿諸侯の身分呼称として定められたが、明治17年(1884)の華族令で五等爵を制定、国家に功労ある者もこれに加えられ、種々の特権を伴う世襲の社会的身分となった。日本国憲法施行により廃止。
《古くは「かそく」とも》平安時代以後、清華(せいが)家の別称。かしょく。
「―も英雄も面をむかへ肩をならぶる人なし」〈平家・一〉

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

かぞく【華族】
華族はもともと清華(せいが)(清華家)の別称だったが,1869年(明治2)の版籍奉還により,従来の公家と諸侯を合わせて華族と称し,士族の上位におかれて,天皇より四民のとなるよう諭された。71年の廃藩置県で華族は政治的特権を失った。また,海外へ洋行する者も多く,同年の岩倉使節団に同行した留学生には多数の華族が含まれていた。この使節団はヨーロッパ貴族制にも関心を払い,これは帰国後の岩倉具視や木戸孝允らの対華族策となった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

かぞく【華族】
旧憲法下、皇族の下、士族の上に置かれ貴族として遇せられた特権的身分。1869年(明治2)旧公卿・大名の称としたのに始まり(旧華族)、84年の華族令により、公・侯・伯・子・男の爵位が授けられ、国家に貢献した政治家・軍人・官吏などにも適用されるに至った。1947年(昭和22)新憲法施行により廃止。
かしょく かそくとも 清華せいが家の別名。かしょく。 -も栄耀も面をむかへ肩を並ぶる人なし/平家 1

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

華族
かぞく
明治以降の特権的貴族層を主としていう。明治以前は公卿(くぎょう)の摂家に次ぐ家格である清華家(せいがけ)の別称である。1869年(明治2)6月版籍奉還後、従来の公卿、諸侯の称を廃してすべて華族とし、新しい身分階層を設けた。このときの華族数は427家。1871年廃藩によって旧諸侯の藩知事は東京居住の華族となり、武家、公家(くげ)の華族の別がなくなった。そして皇族華族取扱規則を定めるとともに、四民の上にたち、国民の師表たることを諭達され、また家禄(かろく)も政府から支給されることになった。1874年6月には華族内部の団結と交友のため華族会館が創立されたが、廃藩後政治的実権を失った華族層の覚醒(かくせい)を促す意味もあり、子弟教育のために、1877年学習院を開校した。1884年に華族令が制定され、これにより従来の華族に加えて、国家に勲功のあったとされる政治家、軍人、官吏、実業家などが新たに華族の列に加えられた。爵位は、公、侯、伯、子、男の5段階に分かれているが、公家は旧来の家柄、旧諸侯は旧領石高をほぼ基準としてランクづけられ、勲功華族は薩長(さっちょう)など藩閥出身者が多く、しかも高位に叙爵された。華族令の制定には伊藤博文(いとうひろぶみ)らの尽力があったが、国会開設を控えて、華族を貴族院議員とする構想があり、そのためにも勲功新華族の創立が必要とされたのであった。明治憲法と貴族院令の制定により、公侯爵全員、および伯子男爵は互選で貴族院議員となると定められ、新たに政治的特権が付与された。そのほか華族の特権としては、家督相続人の爵位の世襲制、「華族世襲財産法」や華族銀行たる第十五国立銀行の創立による華族財産の特別保護と管理がある。また華族は「皇室の藩屏(はんぺい)」たるべき任にあるとされ、華族とその子弟の婚姻も宮内大臣の許可を要した。なお叙爵や昇爵は、勲功のあるごとに、とくに戦争ごとに行われた。1947年(昭和22)日本国憲法によって華族制度は廃止された。[佐々木克]
『社団法人霞会館編・刊『華族会館史』(1966)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社日本史事典 三訂版

華族
かぞく
①公家の家格である清華 (せいが) 家の別称
②1869年から1947年にわたる特権身分
公家としては摂関家に次ぐ家柄で,最高の官職としては三公に任ぜられる。しかし左・右大臣は摂関家に独占されるので,ほとんど内大臣どまりである。久我 (こが) ・三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門 (おおいごもん) ・菊亭・広播 (ひろはた) ・醍醐 (だいご) の9家がこの家柄である。
1869年版籍奉還の際,旧公卿・諸侯らに与えられた身分呼称で,士族・平民の上に位する新しい階層とされた。'76年華族を家系によって6部に分け,部長をおいて国家的に轄した。'84年の華族令で特権的身分が確立し,華族会館を創設して華族内部の団結をはかった。第二次世界大戦後,日本国憲法で廃止。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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