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菱川師宣【ひしかわもろのぶ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

菱川師宣
ひしかわもろのぶ
[生]?
[没]元禄7(1694).6.4.
江戸時代初期の浮世絵師。名は吉兵衛。剃髪して友竹と号した。安房国 (千葉県) の縫箔家業とする家に生れる。寛文年間 (1661~73) ,画家を志して江戸に出てから死没 (一説数え年 77歳) するまで,菱川派としてその配下の画工たちと,150種にも上る絵本挿絵本,一枚絵の組物といった版画作品 (このうちの多くは好色本) ,および主として遊楽の場面を描いた多くの肉筆画を精力的に制作した。墨摺本と呼ばれる墨一色の世界に,明暦の大火 (57) 以後,文化的な欲求を高め活気を呈してきた当時の江戸の庶民の生活や,風俗を表ている。ことに彼の描き出した美人のタイプは「菱川様の吾妻おもかげ」と呼ばれ,広く普及した。浮世絵の元祖といわれる。主要作品は版画では『伽羅枕』 (61~73) ,『秘戯図』,肉筆画では『北楼及演劇図巻』 (72~89,東京国立博物館) ,『見返り美人図』 (93頃,同) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ひしかわ‐もろのぶ〔ひしかは‐〕【菱川師宣】
[?~1694]江戸前期の浮世絵師安房(あわ)の人。俗称、吉兵衛。号、友竹。江戸に出て版本の挿絵・絵本を多く描き、独自の美人様式を確立。また、歌舞伎吉原の風俗などを肉筆画として制作、浮世絵版画の開祖とされる。「見返り美人図」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

菱川師宣 ひしかわ-もろのぶ
?-1694 江戸時代前期の浮世絵師。
挿絵画家として活躍をはじめ,古典から芝居・遊里風俗,当代女性などを題材に独自の庶民芸術を創始した。浮世絵版画の祖とされる。作品に版本「吉原恋の道引」,肉筆画「歌舞伎図屏風」「見返り美人図」など。元禄(げんろく)7年6月4日死去。安房(あわ)(千葉県)出身。通称は吉兵衛。法号は友竹。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

菱川師宣
1618?〜1694(??年〜元禄7年)【浮世絵師】絵本の挿絵を独自の画法で、浮世絵として独立させた。 浮世絵師。安房国出身。土佐派・長谷川派・漢画などを独学、独自の画風を確立した。江戸で大衆文化が発達し、吉原などの風俗を描く絵本や版画が人気となった。その挿絵に画号を最初に銘記したのが師宣である。やがて挿画を一枚の摺り画として独立させ、後に浮世絵と呼ばれるジャンルを作り上げた。絵を主体にした版画が多数だが『見返り美人図』など、肉筆画も多く残す。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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世界大百科事典 第2版

ひしかわもろのぶ【菱川師宣】
?‐1694(元禄7)
江戸初期の画家。浮世絵の確立者で,菱川派の祖。安房国保田村(現,千葉県鋸南町)の繡箔(ぬいはく)師の子として生まれ,若くして江戸に出て画技を学んだ。通称吉兵衛,晩年薙髪して友竹と号した。狩野派,土佐派など本格的な流派の画法を学び,寛文年間(1661‐73)興隆期の江戸の大衆出版界に身を投じて挿絵画家となった。多くの無名の絵師と異なり,彼は1672年(寛文12)の絵入り本《武家百人一首》に江戸の挿絵画家としてはじめて署名を入れ,またしばしば大和絵師と自称して伝統的な大和絵の継承者を自認した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

菱川師宣
ひしかわもろのぶ
(?―1694)

江戸前期の浮世絵師。浮世絵草創期を代表する画家で、菱川派の祖。安房(あわ)国平群(へぐり)郡保田(ほた)村(千葉県安房郡鋸南(きょなん)町)の縫箔師(ぬいはくし)菱川吉左衛門の子。俗称吉兵衛、晩年薙髪(ちはつ)して友竹(ゆうちく)と号す。1670年(寛文10)ごろにはすでに江戸で浮世絵師として活動しているが、それ以前の習作時代や師系についてはつまびらかでない。後年自ら「大和絵師(やまとえし)」と称していることから、土佐派系の町絵師の流れを基調として、漢画系の諸派や中国版画も吸収、菱川様(よう)といわれる新様式をくふうしたものと思われる。その寛闊(かんかつ)にして優美、洗練された描線と彩色、確固適切な構図による時様風俗描写は、世に称賛されて浮世絵の開祖名人の名をほしいままにした。

 100種以上の絵本・挿絵本、50種以上の艶本(えんぽん)を残し、枕絵(まくらえ)・名所絵・浄瑠璃絵(じょうるりえ)の組物もある。肉筆画も画巻・屏風(びょうぶ)・軸物など相当数の作品が確認されており、その人気と旺盛(おうせい)な活動を知ることができる。また師房(もろふさ)(長男)、師重(もろしげ)、師平ら多くの門人を育てて工房製作も行い、芝居町と遊里の二大悪所や、上野・隅田川などの行楽地に集う市井の人々が、多量に、生き生きと、ふさわしい新様式で描出されていった。師宣が浮世絵の始祖であるか否かの論議はいまだ決着をみないが、少なくとも師宣は浮世絵版画の祖であり、それ以上に浮世絵派の原様式を創成した功績は大きく、その意味で浮世絵派の祖ということができよう。おもな作品に『吉原の躰(てい)』(墨摺(すみずり)12枚組)、『浮世続(うきよつづき)』(墨摺絵本、1682)、『北楼(ほくろう)及び演劇図巻』(一巻、東京国立博物館)、『見返り美人』(一幅、同上)などがある。生地に菱川師宣記念館がある。

[浅野秀剛]

『楢崎宗重解説『浮世絵大系1 師宣』(1974・集英社)』『『肉筆浮世絵2 師宣――菱川派・懐月堂派・寛文美人』(1982・集英社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ひしかわ‐もろのぶ【菱川師宣】
江戸初期の浮世絵師。名、吉兵衛。号、友竹。安房国保田村(千葉県鋸南町)出身。狩野・土佐等の諸派に学んだ後、時代の風俗を版本の挿絵や版画、さらに肉筆画に描き、浮世絵創始期の第一人者となる。代表作「吉原の躰(てい)」「見返美人図」。元祿七年(一六九四)没。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

菱川師宣
ひしかわもろのぶ
?〜1694
江戸前期の浮世絵師
俗称吉兵衛,剃髪して友竹と号した。安房 (あわ) (千葉県)の人。初め縫箔刺繡 (ぬいはくししゆう) を業としたが,のち絵画を専業とした。土佐派・狩野派を学び,桃山時代以来の風俗画の長所を集めて,浮世絵という新様式を大成した。肉筆に『見返り美人』などの傑作があるが,むしろ墨摺 (ずり) 版画の開発により浮世絵を大衆化した功績が大きい。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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