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菱田春草【ひしだ しゅんそう】

美術人名辞典

菱田春草
日本画家長野県生。名は三男治。東美校に入り、橋本雅邦に学ぶ。卒業後同校で教鞭をとる傍ら、帝室博物館のために古画を模写する。のち大観印度から英米仏に遊び、パリ個展を開き好評を博する。大観・観山・武山と共に雅邦門下の四天王と言われ、「朦朧体」の無線描法によって日本画の近代化を促した。明治44年(1911)歿、38才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

ひしだ‐しゅんそう〔‐シユンサウ〕【菱田春草】
[1874~1911]日本画家。長野の生まれ。本名、三男治(みなじ)。岡倉天心・橋本雅邦の薫陶を受け、日本美術院創立に参加。横山大観らと朦朧(もうろう)体といわれる描法を試みるなど、日本画の革新に努めた。代表作「落葉」「黒き」など。

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

菱田春草 ひしだ-しゅんそう
1874-1911 明治時代の日本画家。
明治7年9月21日生まれ。結城(ゆうき)正明,岡倉天心,橋本雅邦(がほう)らにまなぶ。のち天心らの日本美術院創立に参加。また横山大観らと朦朧(もうろう)体といわれる線(もつせん)主彩描法をこころみるなど,日本画の革新につとめた。明治44年9月16日死去。38歳。長野県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は三男治(みおじ)。代表作に「落葉」「黒き猫」(ともに重文)など。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

ひしだしゅんそう【菱田春草】
1874‐1911(明治7‐44)
日本画家。長野県下伊奈郡飯田町に生まれる。本名は三男治(みおじ)。一時は画家を志した次兄為吉のすすめで上京,結城正明について日本画を学び,1890年東京美術学校に入学。日清戦争直後の95年に描いた卒業制作《寡婦と孤児》によって戦争の被害を表現してその創作力を認められ,翌年日本絵画協会発足とともに,狩野派風の描線に賦彩に工夫をこらした《拈華微笑(ねんげみしよう)》,天女もついに衰えるという〈天人五衰〉に材を取った《水鏡》などを発表。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ひしだしゅんそう【菱田春草】
1874~1911 日本画家。長野県生まれ。本名三男治みなじ。橋本雅邦に師事し、岡倉天心とともに日本美術院創立に参加。線描を捨て朦朧もうろう体(没骨もつこつ描法)を試みるなど、日本画の革新をめざした。代表作「落葉」「黒き猫」「水鏡」「菊慈童」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

菱田春草
ひしだしゅんそう
[生]1874.9.21. 長野,飯田
[没]1911.9.16. 東京
日本画家。本名は三男治。 1888年上京して結城正明に師事,1890年東京美術学校に入学し,岡倉天心橋本雅邦らの教えを受けた。 1895年同校卒業,翌年同校講師となったが,1898年天心,雅邦に従い職を辞して日本美術院の創立に参加。横山大観下村観山とともに天心門下の三羽烏として日本画の革新に努め,特に朦朧体と呼ばれる没骨 (もっこつ) 彩画の新技法を開拓した。 1903年から 1905年にかけてインド,アメリカ合衆国,ヨーロッパを旅行,帰国後は天心らと茨城県五浦 (いづら) に移住して制作に専念。やがて眼病にかかり,東京,代々木で治療しながら,写生と装飾との調和を見出し,鋭敏な感覚と知的な表現をもって深い詩情を示す作品を制作したが,腎臓炎を再発して没した。主要作品『賢首菩薩』 (1907,東京国立近代美術館,重要文化財) ,『落葉』 (1909,永青文庫,重文) ,『黒き猫』 (1910,同,重文) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

菱田春草
ひしだしゅんそう
(1874―1911)
明治の日本画家。本名は三男治(みなじ)。長野県飯田(いいだ)町に生まれる。1889年(明治22)に上京して結城正明(ゆうきまさあき)に師事し、翌年東京美術学校に入学、岡倉天心、橋本雅邦(がほう)の薫陶を受けて95年に卒業。『寡婦と孤児』は卒業制作である。翌年母校の講師となり、また日本絵画協会に加わり絵画共進会に出品、97年の『拈華微笑(ねんげみしょう)』で銀牌(ぎんぱい)を受賞した。98年美術学校騒動に際し天心に殉じて辞職し、日本美術院の創立に参加した。日本画の革新に意欲を燃やし、1900年(明治33)ごろから横山大観らと没線描法を試み、『菊慈童』『雲中放鶴(ほうかく)』などを発表したが、朦朧(もうろう)体と悪評を受けた。やがて線は復活するが、この試みは以後の日本画に新たな要素をもたらすことになる。03年に大観とインドへ旅行、04年には天心、大観らとアメリカへ渡り、翌年ヨーロッパを経て帰国。06年美術院の移転に従って茨城県五浦(いづら)に移り、第1回文展にはここから『賢首菩薩(ぼさつ)』を出品した。しかし眼病を患い、08年東京に戻って代々木に住み、ようやく回復すると写生に励む。09年の第3回文展に出品した『落葉(おちば)』(重文、東京・永青文庫)は近代日本画中、屈指の名作とされる。ほかに『雀(すずめ)に鴉(からす)』『四季山水』や『黒き猫』(重文、東京・永青文庫)などが晩年を代表する作品。清澄な表現に自然観照の深まりと古典への親近がうかがえる。[原田 実]
『菱田春夫編著『菱田春草(定本画集)』(1977・大日本絵画) ▽近藤啓太郎著『菱田春草』(1984・講談社) ▽河北倫明他編『日本の名画8 菱田春草』(1977・中央公論社) ▽勅使河原純著『菱田春草とその時代』(1982・六芸書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ひしだ‐しゅんそう【菱田春草】
日本画家。本名三男治。長野県出身。東京美術学校在学中、橋本雅邦・岡倉天心の指導を受け、明治三一年(一八九八)天心の日本美術院創設に際して、横山大観・下村観山らと参加。新様式の日本画を創造した。代表作「落葉」「黒き猫」。明治七~四四年(一八七四‐一九一一

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

菱田春草
ひしだしゅんそう
1874〜1911
明治時代の日本画家
長野県の生まれ。東京美術学校卒。橋本雅邦門下の逸材。描線をやめ,洋画技法による没線描法で日本画の革新に努力した。代表作として前期に『水鏡』,後期に『落葉』『黒き猫』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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