●葛原親王【カツラバラシンノウ】
デジタル大辞泉
かつらばら‐しんのう〔‐シンワウ〕【葛原親王】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus
葛原親王 かずらはらしんのう
延暦(えんりゃく)5年生まれ。母は多治比真宗(たじひの-まむね)。治部卿,大蔵卿,式部卿,大宰帥(だざいのそち)などとなる。天長2年(825)子女が平姓を名のることを朝廷にこい,ゆるされて桓武平氏の祖となった。上野(こうずけ)太守,常陸(ひたち)太守などを歴任して一品(いっぽん)をさずけられた。仁寿(にんじゅ)3年6月4日死去。68歳。
出典:講談社
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世界大百科事典 第2版
かずらはらしんのう【葛原親王】
平安初期の官人。桓武天皇の第3皇子,母は多治比真宗。治部卿,大蔵卿,弾正尹,式部卿,大宰帥,中務卿を歴任し一品となったが,とくに式部卿として名をあげた。843年(承和10)に老病を理由に致仕を請うたが,輦車(れんしや)で宮に入ることがとくに許された。その死に際しては薄葬を遺言し,朝廷よりの葬事監護を辞退した。古今の成敗をもって自戒とし,史伝に通じ,旧典について練達していないものはないほどであったという。
出典:株式会社平凡社
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精選版 日本国語大辞典
かつらばら‐しんのう ‥シンワウ【葛原親王】
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