●葵祭【あおいまつり】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
葵祭
あおいまつり
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知恵蔵
葵祭
起源は567年と伝えられる。風水害による不作が続き、賀茂の大神を敬う伊吉若日子(いきわかひこ)が占うと、賀茂の神々の祟(たた)りとでた。そこで勅命が下り若日子が4月吉日に祭礼を行うと、風雨はおさまり、豊作になったという。祭りは819年には国家的行事になったが、1467年から77年まで続いた応仁の乱で中止となり、その後1694年にようやく再開。当初「賀茂祭」と呼ばれていた祭りは、この時から「葵祭」と呼ばれるようになった。
祭儀は「宮中の儀」「路頭の儀」「社頭の儀」の三つで構成され、現在行われているのは「路頭の儀」と「社頭の儀」。「路頭の儀」は、勅使や検非違使(けびいし)、内蔵使(くらつかい)、山城使、牛車(ぎっしゃ)、風流傘(ふりゅうがさ)、斎王代など、平安貴族の姿をした人たちが列をつくり約8kmの道のりを進む。京都御所を出発し、賀茂御祖神社へ着き、さらに賀茂別雷神社へと向かう。総勢約500名、さらに馬数十頭、牛、牛車、輿なども加わった大規模な列で、その様は風雅な王朝行列を彷彿とさせる。「社頭の儀」は、行列が賀茂御祖神社と賀茂別雷神社に到着した時、それぞれの社頭で行われる儀式。勅使による御祭文の奏上や御幣物(ごへいもつ)の奉納、さらに、神馬の引き回し、舞人(まいびと)による「東游(あずまあそび)」の舞が奉納される。
また、流鏑馬(やぶさめ)も有名。流鏑馬は祭りの始まった頃は主要な儀式だったが、現在では前儀として葵祭の数日前に行われる。
(富岡亜紀子 ライター / 2009年)
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
朝日新聞掲載「キーワード」
葵祭
(2015-05-14 朝日新聞 夕刊 1総合)
出典:朝日新聞掲載「キーワード」
デジタル大辞泉
あおい‐まつり〔あふひ‐〕【葵祭】
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世界大百科事典 第2版
あおいまつり【葵祭】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
葵祭
あおいまつり
5月15日に行われる京都市北区上賀茂(かみがも)の賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、左京区下鴨(しもがも)の賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)両社の祭り。元来、賀茂祭(かもまつり)と称し、平安時代に祭りといえば賀茂祭をさすほど有名であった。また石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡(やわた)市)の祭りを南祭というのに対して、北祭ともよんだ。現在も石清水祭、春日(かすが)祭とともに三大勅祭の一つ。祭日は、明治以前は4月中(なか)の酉(とり)の日(二の酉の年は下の酉の日)であった。葵祭の名称は、祭員の挿頭(かざし)に葵を用い、神社や家々に葵を飾り、物忌(ものいみ)のしるしとすることに基づくもので、同様の呼称は松尾(まつのお)祭(京都市西京区嵐山(あらしやま)宮町の松尾大社、4月下の卯(う)の日~5月上の酉の日)などにもみられる。
賀茂祭は大宝(たいほう)(701~704)の神祇(じんぎ)令にはまだみえず、嵯峨(さが)天皇の819年(弘仁10)に至って初めて中祀(ちゅうし)に列せられた。しかし、前日(申(さる)の日)に山城(やましろ)国司の行う賀茂国祭は早く698年(文武天皇2)に行われたことが『続日本紀(しょくにほんぎ)』にみえる。『本朝月令(ほんちょうがつりょう)』の引く秦(はた)氏本系帳の説によると、祭りの起源は、欽明(きんめい)天皇朝、暴風雨の害が賀茂神の祟(たた)りによると占われたので、4月吉日を選び、馬に鈴をかけ走駆させ祭ったところ、五穀成就豊年を迎えたことに由来するという。賀茂祭に走馬(はしりうま)の行われるのもこれに基づくという。つまり、本来、秦氏などの鎮斎していた賀茂神が、京都遷都以降、皇城鎮護の神としてしだいに神威を高めるに及び、その祭りも氏神的祭祀から国家的祭祀へと発展し、賀茂祭の形態を形成するに至った。その古姿の名残(なごり)を伝えたのが賀茂国祭であった。
現行の次第は、勅使を中心に検非違使(けびいし)、山城使(づかい)、内蔵(くら)使、舞人などの旧儀による行列が京都御所を出発、高野(たかの)川の葵橋を渡って下鴨神社に到着、勅使の祭文(さいもん)奏上などの祭典があり、神馬(しんめ)の引き回し、舞人の東遊(あずまあそび)奏舞などが行われ、祭馬を疾駆させる走馬(はしりうま)が催される。終わってふたたび行列を整え、賀茂川堤を北上し、上賀茂神社に参向、同様の祭典、催しを行い、夕刻御所に帰還する。古くは、祭り前の午(うま)の日または未(ひつじ)の日に賀茂斎院(さいいん)の禊(みそぎ)の儀が行われ、祭り当日は勅使以下とともに賀茂社に参向した。『源氏物語』葵巻などに描かれている賀茂祭の王朝盛儀の模様は、現行の祭りからも十分にしのぶことができる。
[倉林正次]
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事典 日本の地域遺産
葵祭
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精選版 日本国語大辞典
あおい‐まつり あふひ‥【葵祭】
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